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「KIGEN」第三十七回



 翌朝、早くから蝉が地上を席巻して、青く開けた空には太陽が上っていた。古都吹家の庭先で、いちごうは一人朝運動に取り組んでいた。メニューはAIが毎朝の状態を診断して決めるが、ストレッチに始まり、主に体幹を鍛える筋力トレーニングとなる。運動中のいちごうは見様見真似で付けたまわし一丁だ。剥き出しの肩から胸、上腕にかけては昨年よりも肉付きの良さが見て取れる。元々皮膚の代用として使用したシリコンは、気体の通気性は良い方だが水分は通さない為汗が出せない。だがこの夏、まるで日焼けで皮膚の表面が剥ける様に、シリコンはみるみる剥がれていった。朝目覚めると敷き布団の上にボロボロと屑状のものが一面にあって、いちごうは慌てて奏を呼んだ。すぐにシリコンだと判明し、だが見た目になんの変化も見られないいちごうの姿があって、二人して呆気にとられた。脱皮のような進化は数日続いて、収まった。

「どうやったの?」

「さあ、AIの仕業というより、私の人間的生存本能がそうするべきと判断したんだと思う。神秘で片付けるのは申し訳ないようだけれど、他に説明がつかない」

「そっか」

「でもこれで身軽になった。汗もかきやすくなったし」

 いちごうの言う通り、以後目に見えて代謝が良くなり、猛暑だろうと熱帯夜だろうとしのぎやすくなった。

 また成長と進化に合わせてチタンを除去する必要があるいちごうは、既に何度か除去手術を受けている。医師がメスを握る横へロボット工学の専門家が立ち合い行われる手術だが、毎回まるで余分となった部分を押し出してこちらへ示すように切り離しが終わっており、不思議なほどスムーズに終わった。奏はモニター越しに手術を見守りデータを取った。一方では、メスを入れないでチタンを外す技術の開発研究もずっと続けている。

 まわし一丁でトレーニングに励むいちごうは、逞しい肉体を日の下で生き生きと躍動させている。その反面手術痕が痛々しい。出来るだけ目立たないようにとの配慮は十分になされているものの、場所を知っているだけに奏の目にはよく止まる。もしも本当にいちごうが土俵デビューするのなら、見栄えの良さという点も考慮するつもりでいる。

「やあ、やってるね」

 トレーニングに励むいちごうへ気安い調子で声を掛けてきたのは犬飼教授だった。いちごうは塀越しに顔向けて姿を確認すると、にこっと歯を見せて朝の挨拶を交わした。犬飼教授は家の側と左右を軽く見回すと、いちごうを手招きして呼んだ。


 大柄で愛想の良い若者が敷地の外へ出てから一分と経たないうちに、一台の高級車が古都吹家からスピードを上げて去って行った。



 耳に挟んだ「源さん」が気になる矢留世は、その名前に聞き覚えがある様な気がして、ネット検索をかけた。そこから元横綱の大航海に行き着くのは簡単だった。真偽のほどは怪しくも出来るだけ情報を集めて、先ずは一人で家を訪ねてみようと準備をしていた矢先、奏からいちごうが行方不明であるとの一報が入った。朝のトレーニングをしていたところ、突然庭から姿を消したという。矢留世は一気に血の気が引いた。だが声を震わして電話して来た奏の手前、平静を装って対応した。直ぐにチームを招集すると言い於いて電話を切ると、早速三河のスマートフォンを鳴らした。

 奏の研究所へ集まった全員が耳を疑った。

「犬飼教授が居ない?」

 手分けして探す為にチーム全員に連絡を取ったが、その最中で犬飼教授が朝から連絡が取れなくなっていることが判明した。普段は教授の講演会場等へ同行し、その際の助手と運転手をこなす学生の一人が教授の奥さんとガレージを確認したところ、暫くほったらかしだった自家用車も無くなっているという。

「二人も同時に行方不明になるなんて、何か関係があるとしか思えないですよね」

「可能性は高いな・・・駄目だやっぱり繋がらん」

 三河は再三教授へ連絡試みているが、電源を落としたままで全く繋がらなかった。大学は勿論多方面に顔が広い犬飼教授が行方不明等と外部に漏れれば大騒動になる。何とかその前にコンタクトを取りたかった。矢留世は三河と会話しつつ、デスクトップパソコンの前へかじりついている奏が気になって声を掛けた。

「ところで奏くんは今何をやってるの?」

「妨害されてて・・攻略中です・・GPSが・・付いてるんで、いちごうには」

 背中を向けたままの奏の途切れがちな言葉を拾って、チームの面々が駆け寄った。

「流石だよ奏くん!」

「あ、でも、さっきから妨害されて、多分いちごうの傍に電波を妨害する何かが―あ、違う、車だ!いちごうは車に乗ってるのかも。確か一部の車のガラスには電波を通さないものがあるんですよね」

「聞いた事あるな」

「けどもしもそうだとしたら、どうやって見つければいいんだ。移動してる相手を見つけるなんて益々難しいじゃないか」

 奏はキーボードから手を離し、暫し思考を巡らせた。顔を上げた時には次の一手を決めていた。

「いちごうに直接連絡を取ります。外部に声や音が漏れないように、彼に直接話し掛けます。それでいちごう自身に窓を開けて貰いましょう。手の自由が利けばですが」

「そんなことできるの?」

 奏はこくんと頷いた。その仕草があんまりあどけなくて、反対に彼をぐるり囲んで勢い込む大人たちの背筋を伸ばさせた。



 車内は静かだった。運転席に一人、そして後部座席の右側に一人。お互いにシートベルトを締めて、ひたすら走行車線を見つめている。後部座席から何度か声を掛けようと思った。だが運転席でハンドルを握る後ろ姿が心なしか自信なさげで、話し掛けられずにいた。


第三十八回に続くー



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