「KIGEN」第十六回
否定したくとも、奏の目にもただのシリコンにはもう見えない。いちごうから提出されたデータを分析すると、確かに把握している以上の水分が体内に入り、放出されている。つまり水分が機械に触れず体外へ放出されるルートが確立されているという事だ。AIが「眠気」と呼ばれる生理現象を関知した数値は、そのまま十代の子どもと変わらないかそれ以上だ。
「ところでいちごうってさ、どうやって用を足すの?」
渉の素朴な疑問が飛び出して、奏はいちごうの性別を決めていないままであった事を思い出した。それで父に倣っていちごうに顔を向けて返答を待つ。いちごうは視線に耐え切れず頬を染めながら顔の前で手を振った。
「何だよう、そんな事聞くなよお、皆と一緒だよ」
「それってつまり、男なの?」
これでもしもいちごうが女性であるとの認識を述べた場合、或いはいかなる返答を持ち出した場合でも、二人は揃って道徳心に欠けていると言わざるを得ない。相手がロボットだから油断したのか、人間同士で相手を目の前にあなたは男か、女か、等と聞くのはナンセンスである。頬の一つ位殴られても仕方がない状況だが、いちごうは賢い。AIの知識を誠実に持ち出した。
「私に生殖機能は備わっておりません。尿管はあります。正確にはそれらしきものであって、実態は不明確です。ただ、尿意を催した時はそこから摂取した水分に見合った量の水分が出ていきます。成分は分析しておりません」
「そうだね、成分は分析しないといけないね。その手があった」
いちごうの言う尿管らしき場所から出ている水分の成分分析は大変有効な手段だ。彼が取り込んだ水が単純に体内を巡って出て行くだけなのか、何らかの処理を請負い体外へ放出しているのか判断できる可能性がある。これは一刻も早く調べなくては。奏がそう提案しようと目を運ぶと、渉は言い出す前から力強く頷いた。製作者の判断に全面的に賛成だった。そもそも自分が持ち出せるのは自らの経験から学んだ知識だけであって、ロボット工学等の頗るややこしい専門分野には太刀打ちできないと日頃から思っている。寧ろそんな自分の遺伝子を継いでよくぞこんな立派な博士が誕生したものだと、我が息子ながら奏を随分尊敬していた。
「健康診断だよ、いちごう」
「はい、頑張ります」
研究所でのいちごうの徹底した健康診断が決まった翌日、助手を買って出た渉は壁際を回って窓を二か所開けるところだった。二枚目の窓へ近寄ると、既に細く開いている。
「あれ、物騒だな。いつからだろ。奏、この窓いつも細く開けてたの?」
「う、うん。元は網戸だったけど破れちゃって、取り敢えず放置した事今まで忘れてた」
説明を聞きながら渉が詳細を調べると、確かに網戸が破れている。
「いつ破れたの?」
「えーと、いちごうが完成した頃だったかなあ。その後風が強かった日に気が付いたから、多分そう」
渉は破れた網戸を観察して、自分なりの推理を披露した。
「内側からの衝撃じゃないよ、これは。外側からのものだ。それに速さと熱が無いとこんなに見事な破れ方はしないんじゃないかな。破れる程の衝撃のわりに、網戸の崩れ方が小さいというか、焼かれたように一部は焦げてるんだ。溶かされたとも言える。まあ全部、父さんの勝手な分析だけどね」
渉が妙に網戸へ拘るので、奏も窓へ近寄った。網戸の状態をやっと真面に見たが、確かに焼けたように見えなくもない。もしも外から何かが飛んできて、網戸へぶつかり研究所へ入ったとしたら。そう仮定した二人は、飛来物の動線を辿った。行き着く先には作業台があった。いちごうを組み立てていた作業台である。
奏の脳は激しく過去を遡った。そうして或る一個の体験がフラッシュバックして、彼をはっとさせる。
「父さん」。
呼びながら心臓がバクバクした。唾を飲み込むのにも苦労している。奏はあの日、腕を怪我した。火花が散って、その所為で摩擦火傷のような傷が出来た。掠り傷か火傷か、家族内でも言い合った。大した怪我じゃなかったんだから心配には及ばないと思って済ましていた。けれど、もしもあれが火花の所為じゃなかったとしたら。浅く長めに擦られた傷跡は、何かが擦った摩擦で出来たのだとしたら。それも、相当の温度だ。
―今思い付いたんだけど、まさかあの火花も隕石の仕業じゃないだろうね―
智恵美はすぐさま否定した。奏も渉の冗談だと思った。渉もまさか本気で発言した訳ではなかった。
「あの日、僕が腕に怪我をした日は、隕石の落下があった日だよ」
「近所のマンションで欠片が発見されたっていう、あの?」
「うん」
「もしも、もしも網戸を破って僕の腕を掠めたのが隕石の欠片だったとしたら、その欠片はこの研究所内にないとおかしいよね」
「・・そうだね」
奏は室内を見渡した。実験道具や資料、機材などでごった返している。
「でもここにそんな物質は無いよ。今日迄何度もこの部屋を訪れたけど見た事が無い。網戸の様子から推測するなら、一定の大きさがあっていい筈だよね。それが見つからないんだ。でも、当然だよ」
言って奏は作業台を見た。
「ここにはいちごうが居たんだ。完成間近のいちごうが横たわっていたんだ」
「それじゃあ、隕石の欠片は・・・いちごうの中にある?」
(二章・夢の欠片・終)
第十七回に続くー
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長編小説「KIGEN」
「AI×隕石×大相撲」 三つの歯車が噛み合ったとき、世界に新しい風が吹きました。 それは一つの命だったのか。それとももっと他に、相応しいも…
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