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「KIGEN」第四十八回



「ええ、仰る事はよく分かりますがその・・・力士はみな人間です。当然ですが。ですから、生身の人間と、人工知能を持ったロボットとでは相撲勝負にならないのではないでしょうか。力士を守ると仰るのであれば、ロボットと戦わせて万が一にもケガ等させては問題ではないかと」

「ケガ」

「はい」

 ふっと失笑が漏れた。

「失礼――幸いにしてあのAIには血も涙もあるそうですよ。それに立派な皮膚も。お言葉を返すようですが、力士にケガなどつきものでしょう。日々稽古を積んで鍛錬し強く丈夫な体を作るのは、一人一人の問題であり自己管理でもある。無論親方の指導、部屋の管理体制も重要でしょうが。ケガと付き合いながらも精進続ける事。それは現役力士だろうと未来の力士だろうと変わらぬ心構えであるはずです。相手は関係ないと思いますが。

件のAIは半分以上人間と変わらぬ生態なのだそうです。単純にAIロボットと呼ぶには違和感を覚えます。人並みに成長、進化を続ける内にはケガもしたでしょう、そういった意味では平等では無いでしょうか。ようは怪我しない身体を作ればいいんです」

「それはまあ、そうなんですが・・・」

 自分にはとても太刀打ちできないと、若い理事はイスへ早々身を引っ込めた。


「思い出した。十勝だ」

「何?」

「名前です。あの人の名前、十勝蓮耶ですよ、確か」

 理事一期目の十勝蓮耶とかちれんやは、相手が着座したのを目視して、三度口を開いた。

「私は元より現実主義な人間です。生半可な夢など見たりしません。リアルと仮想現実。二つの境界は今後さらに曖昧になると予想されます。それが世界情勢であると認識しています。もう一度申し上げますが、ここで踏み込まなければ大相撲は先細る一方なんです。廃れる前に手を打ってしまいましょう。我々の手で時代の先駆者になりましょう。

 私の意見は以上です」


 十勝は全て言い終えて満足した様子でようやく腰を下ろした。発言中留めていたスーツのボタンを外すと、姿勢を改めて前を向く。理事長は今日の会議の行く末を、一先ずの着地点を見つけなければと思った。額の際に浮かぶ嫌な汗をハンカチで拭うと、更なる意見を求めて参加者をぐるり見回した。誰も目を合わせようとしないし、誰も手を挙げない。と諦め掛けた時、あのーと声が一つ室内へ響いた。誰の声だか理事長に判然としなかったが、首を動かすうちにあのーの続きが語られた。

「一つだけ、ちょっと気になる事があるんですが、その、いちごう君ですか、彼が今島田源三郎氏に稽古をつけて貰っているというのは事実でしょうか。もし本当なら、協会はまだ関係が切れてなかったのかと世間に指差されはしないでしょうか。もしも問題視されてしまっては、相撲協会の将来どころか現在が危うい立場に置かれる事が予想されます。島田氏との軋轢は既に解消済みであると証明できるにしても、一度発火すれば火消しは容易ではありません。そのリスクを背負う覚悟が理事長はお有りなんですか」

 嫌な汗が止まらない。ハンカチはどんどん湿っていく。ええ、それは、その・・と煮え切らない台詞が並ぶ。こんなことならうっかり四期目なんて引き受けるんじゃなかったと、そんなところから後悔し始めた。理事長のハンカチが額を右から左へ動いて、折り返そうと動き始めた頃、十勝の体がテーブルへ迫った。

「島田源三郎氏、元横綱大航海ですね。島田氏に稽古をつけて貰った事は事実なのでしょうが、騒動が起こったのは二十年以上も前の話ですよね?いいじゃないですか、騒ぎたいマスコミは騒がせておけば。今はもう垣内部屋の弟子の一人だそうですよ。全ては過去です。理事長が問題ないと仰ればそれで済む話だと思います。それに――

 と一旦言葉を切って瞬くと、閃く言葉の刃を一筋走らせた。

どちらにしても世間に注目浴びるなら有難い話じゃありませんか。どんな騒がれ方をしようと、結果的に場所興行の集客に繋がればいいんです」

「いや何言ってんだあんた、相撲協会への信頼が第一―」

「当然です。大相撲協会は力士一人一人を支えて下さる後援会や観客の皆様の支えあってこそ存続可能なんです。それは議論するまでもなく当然の事と思っておりますから敢えて口に出すまでもないと判断した迄です」

 相手の発言を遮って、二の太刀振り下ろした十勝は、言い終えたと思うともう畏まっていた。身の置き換えの速さはまさに剣豪のようだ。鋭い刃ももう出すつもりが無いと見え、すっかり鞘に収まっている。理事長のハンカチが面目を保てるうちに、どうにか会議を終える事ができそうだった。

「人工知能について、恥ずかしながら私は知識が乏しいです。ですからこの件につきましては専門家からもアドバイスを頂き、共存の道を切り拓くことは可能か、引き続き相撲協会としての方向性を、垣内部屋への返答を前向きに考えたいと、このように考えております。皆様にはどうかそのように御承知おき頂ければと思います」





「―殴ったんだよ、他所の親方を」

 兄弟子の口から物騒な台詞が発されて、いちごうのスポンジを動かす手が止まった。当番制の風呂掃除の為に兄弟子と二人で手分けして浴槽と浴室内とをごしごし擦っている所へ、兄弟子から話しかけられたのだ。


「なあ、一つ聞きたいんだけど」

「何でしょうか」

 いちごうは気軽に返した。兄弟子はいかにも内緒話と云った風に声の調子を抑えた。

「お前は何も知らないのか、それともAIだからとっくに知ってて、それでも通ってたのか?」

「ん?何がですか」

 いちごうは首をかしげる。

「あの源さんって人は昔人を殴ったんだよ。他所の部屋の親方を」

 スポンジを動かす手が止まった。顔を上げると瞳孔が開いた無遠慮な瞳がいちごうの機微を見逃すまいとして活動していた。いちごうは視線を手元へ戻して掃除を再開した。


第四十九回に続くー


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