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「広辞苑」を片手に執筆をする話

 私が今連載している「広とはる」は、別の箸休めでもお話しましたが二〇一八年に書いた作品の修正版です。そして今年は前半の内に一本新しい小説を書きました。これは次回作として此処noteで連載するつもりです。

 そして今は、また別の作品を執筆中です。書いても書いても、と言うほど勢いに乗るのは中々稀で難しいのですが、書くことが楽しくて、書く時間の与えられることが幸せです。

 そんな私が小説を書くのに使用するのは、云わずと知れた「Word」であります。紙のノートへ思い付いたことはどんどん書き連ねていきますが、それらを基に、プロットの段階からWordを使います。縦書きで、修正も簡単、文章の入れ替えがあっさり出来ることも原稿用紙とは違います。非常に便利です。

 それから、私が執筆する上で必ず手元に置いておく、大切なものがあります。「広辞苑」です。私が自分で初めて買ったものは、二〇〇八年の第六版でした。当時も十年ぶりの大改訂版でした。そもそもの「広辞苑」との付き合いは、もっと昔からです。初めて手に取ったのは、家庭用としてわが家に届いたものでした。母が、やっぱり欲しかったんだそうです。分厚くて、自分の学習机にある学校指定の辞書に比べると圧倒的な存在感を放ちました。

 家で学習するとき、手紙を書くとき、私もよく「広辞苑」を手にするようになりました。何よりも、言葉の数が、違います。何でも引くことができました。私は家庭用の「広辞苑」を使う一方で、羨ましかった。いつか自分も本棚に「広辞苑」が欲しい。そう、思いました。その内独り立ちしましたが、中々機会が訪れず、そうしてその機会は突然にやって来ました。

「十年ぶりの大改訂」の文字が、ある日私の目に飛び込んで来ました。「広辞苑」が進化を続けているとは、思いもよらない事でした。云われてみれば、確かに言葉は生まれ続けていますし、その度改訂していく必要があるのです。道理です。そして、「今だ!」と私は思いました。何だか付録もついてくるそうで、このような機会はまたいつやって来るか分かりません。直ぐに予約をしました。

 そうして発売日、とうとう手に入れた自分専用の「広辞苑・第六版」が、今でもずっと私の相棒であります。ずしりと重くて、移動は大変です。使い続けた為に、数年前には表紙カバーが裂けてしまいました。しかし私は、そんなことでカバーを手放す気にはなりません。和柄の生地を裏から貼り付けて、元の通りにカバーを直し、未だ無事に使っています。

 今日も執筆中、何度辞書を引いたか分かりません。不安になったら「広辞苑」、もっと他の言い方を探しているという場面でも「広辞苑」です。屹度、未だ一度も捲っていないページがあると思うのです。以前「あ」から順に読んでみようと思って読書を始めたことがあるのですが、流石に無謀だったらしく、中途で諦めてしまいました。

 時が経ち、私の「広辞苑」は、既に最新版ではなくなりました。更に言葉を吟味された、現代社会に応じるもののあることが、少しだけ、いえ、とても気になっています。けれど私は、自分で買った第六版を未だ使い続けようと思うのです。長らく人生を共にしてきたこの一冊に、代えがたい愛着があるのです。

 そろそろまた、小説の執筆に戻ります。私の隣には勿論、頼もしい姿の「広辞苑」が置いてあります。

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                        文と写真・いち

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