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手紙小品「母が云うには」

 文箱が満杯になると、中身を全部取り出して整頓する事にしている。器は大きくしない。貰った手紙やはがきを読み返して、取捨選択する。届けられた手紙一つ一つにはその時の互いの心情がありのまま籠められていて、捨てるには惜しい代物だけど、敢えて択ぶ。

 例えば送り主が一番苦しそうな時に書いた手紙だったとして、それを相手が乗り越えたなら、もう保存の必要は無い。

 例えばそれが相手にとって最期の手紙となった時、気が済むまで手元に持っていたい。

 例えばそれがかわいいかわいい甥姪からの手紙だったら、取り敢えず捨てるという選択肢はない。

 例えばそれが大事な人たちから届けられた手紙だったなら、一通一通繰り返し読みたいから保存一択だ。

 なんだい、手紙なんてそう簡単に手放せないじゃないか。


 今度文箱を整理していると、一枚の絵ハガキが出て来た。私の22歳の誕生日プレゼントに添えられていた、母からの絵ハガキだった。それはこんな言葉で締めくくられていた。

『あなたに素晴らしい遺伝子を授けたははより』

 笑った。いかにも私たちきょうだいの母らしい、軽妙で逞しいメッセージだ。

 私はどうも、人が当たり前に、順当にやっていくはずのものを素直に通過することができなくて、とことん考えてみたり、腑に落ちなければ動き出せない人間だった。
 歳を重ねて、匙加減だの緩さだのを身に付けた今となっては、ただの昔話だけど・・・。

 けれど母は一度も私を否定したことが無かった。私は私らしくでいいのだそうだ。そうやって育てられたからどんなに落ち込んでも自己否定しないで済んだ。
 思春期の何もかも不安定になる多感な時期に他者へ不信を抱いても、母は細かい事に拘らず、寛容な心で私を信じていてくれたから、私は自分を信じ抜こう、自分を信用してくれる人を、受け入れてくれる人を心から信じていてもいいんだと思った。

 学生の頃も、社会人になったって、言葉に刺されて心が崩れそうになったことはある。何度もある。そしてそれは誰もが経験してきたことだろうと思う。自分が振りかざした刃もあった。苦い経験だ。

 色々あった。だけど大丈夫だった。今日も「今」を生きている。

 今日を幸せに、周囲の人々に恵まれて生きていられるのは、ここに生まれた私の人生の土台に、母から授けられたという素晴らしい遺伝子があるからなのかも知れない。
 それにしても面白い人だ、自分で言ってるんだもの。

 与えられた命と、丈夫な器と、素晴らしい遺伝子の御蔭で、今日も私は痛快に生きている。

                             いち


母はこの頃ぶたさんにハマっていたから、ぶたさんのイラスト付きだ。


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