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掌編「星と笹飾りと七回忌」


 家へお寺さんを呼んで祖母の七回忌を行ったのが五月の終わりだった。ごく身内だけが集まる法事だったけれど、母と私は事前準備に追われた為、無事に終わってほっと胸を撫で下ろした。そして、これを一つの区切りにしようと以前から話し合っていた私たちは、約束通りおばあちゃんの遺品整理を始めた。

 いざ始めると、その所持品はかなりの量があった。元来がんらい物が捨てられない人であったから。だからここまで手を付けられずにいたとも云える。だが、仮令たとい紙の箱一つとっても、中を検めないまま処分する事はできなかった。主を失ったとはいえ、此処に在るのは一人の人間が生きてきた証であり、まして母の母親の思い出である。そう云う訳だから、母と私はかれこれひと月以上整理を続けている。

 蚊取り線香の煙くゆらせた廊下。その先の四畳半へ、引き取った祖母の遺品をしまっている。早くに連合いを亡くした祖母は、長年一人暮らしを望んだ。父の仕事の都合で県外へ引っ越したわが家とは違って、生まれ育った地元に建つマンションで、悠々自適な一人暮らしを穏やかに楽しんでいた。だから他界した当時は親族でひと騒動であった。最終的に、長女であるうちの母が、出来得る限り全ての荷物をわが家へ引き取る事で、話はどうやら落ち着いた。

 今晩も、母と二人、蛍光灯の下で、夕食後のひと時を、思い出を巡る時間に充てている。全国を旅した思い出の土産を詰めた箱、長年勤めた職場関係の書類を保管した箱、飲み損なった薬の並ぶ缶、本当に様々である。此処には当然、祖母だけの、祖母が生前関り合って来た誰かとの、娘や孫の知らない物語がある。私は、日記の類が出て来た時は、中を開かず母へ手渡す事にしていた。

 或る折箱に取り掛かった。蓋を開けると手紙の類がぎっしり詰まっていた。私信を覘く真似に少し躊躇して母に相談するが、構わないと云うので手を付けた。どうやら夏の便りが中心らしく、かもめ~るが多い。その中から、自分が小学生の当時出した暑中見舞いはがきが出て来た。鉛筆で、下手な字を裏のスペースめいっぱいに書いている。他には色鉛筆で、真っ赤なカニと西瓜も描いて在った。同じように妹や弟、それに従弟が出したものも続けて出て来た。どれも小学生時代の活発な文字が躍っていて可愛い。みんなすっかり大人になってしまったけれど、従弟は元気にしているだろうかと懐かしく思い出す。今度手紙でも書いてみようかしらと思いながら、また適当な量を一掴みして、持ち上げた途端に、
「あ」と思う。

 手紙の下から短冊が出て来た。水色、黄緑、橙、青、赤、何色もある。半紙の紙縒りこよりが付いたままで、どうやら祖母が、折り紙で手作りしたらしい。そこに書かれて在る文字全てが祖母の手蹟だ。そして、書いて在る名前が全部違っている。自分の娘たちと、孫一人一人の名前を書いて、みんなそれぞれに違う願いを認めてある。健康と無事、学校でのお勉強のこと、素直な成長への願い―手紙や電話で聞いた話を参考にしたらしく、さまざまである。
 そして最後の一枚、真っ赤な短冊は、祖母自身のものだった。

「私は今燃えています!」

 こう書いてあった。何だろう、この勇ましさ。私は一瞬の面白さの後、すぐさま何故か心配になった。おばあちゃんに何が在ったろうと思う。どことなく、苦難を匂わせるような、そこはかとない気配が漂う一文。短冊の願いとも受け止め難い一文。これは、一体。自分の手に余るように思い、母に声をかけてみる。どれ、と顔寄越した母は、目に入れるなり顔を崩した。
「うわあ、さすがお母さん、エネルギッシュだわあ」
 さも嬉しそうに笑う母。
「え、そうなの?おばあちゃんがエネルギッシュ?」
「そうよ、だってお母さんの母親なのよ、孫の前ではお淑やかに納まろうとしてたみたいだけど、根はバリバリの活動家なんだから、エネルギッシュに決まってるでしょう」
「そうか」
 知らなかった。それとも、気がつかなかったのか。私はじっと短冊を見詰めた。淡い茶系の色レンズ眼鏡をかけた、穏やかな顔の祖母が目の前へ現れる。
「だってこれ、真っ赤選んでるのよ。しかも裏は白いのにわざわざ赤い方へ書いて、まるで字まで燃えてるようじゃない」
「ああ、ほんとだ」

 そして私は不図ふと思い出した。祖母の挨拶はいつも決まってアロハ~であったことを。出会って何十年も経つはずなのに一向に年老いた様子が見えなかったことを。洒落の効いた冗談をさらりと唇に載せる人であったことを。
「今更だけど、おばあちゃんって凄いね」
「今更ね」
 母が笑う。この人も強い。確かにここは親子だ。そしてその血を自分も引き継いでいる筈であると、自身も同じ埒の中へ試しに入れてみる。今の処はまだそんな気配を発揮できていない様に思う。
「よし、今夜は晴れてるみたいだから星を見に一寸外へ出よう。お母さんの素敵な短冊に出会わせてくれた感謝を伝えに」
「仏壇じゃないの?」
「だって短冊は七夕飾りよ」
「でもどうせまだ梅雨だもん、天の川なんて見えないよ」
「そうなのよねえ―あ、でも見て」
 と二人の周囲に雑多に広がる祖母の遺品の数々を見渡す母。折り重なって下の畳みも見えない。
「なんだか天の川みたいじゃない。ここに天の川があるわ。母と私たちを、もう一度引合わせてくれた、素敵な天の川がある」
 愉快そうに両手を広げて、思い出の天の川を見渡す母を、私は黙って眺めた。天の川って、二人を隔てた川じゃなかったっけ。という突っ込みは野暮だから云わないでおく。私の理屈より母のロマンの方が何倍も素敵であると思った。私は顔を上げた。
「星を見に行ってみよう」

 立ち上がった私たちは、玄関扉をそろり開けて、家の前で夜空を見上げた。やっぱり少し燻って、目が慣れても星はぽつり、ぽつり。けれど、私は燦然と輝く夜空を想像した。何億光年先から光放つ数多の星の輝きを、瞳いっぱいに描いてみた。

 そうか、エネルギッシュなおばあちゃんなら、あんな小さな仏壇へ大人しくしている筈が無いか。あっちの星か、こっちの星か、それとももっと自由に、旅を続けているかもしれない。
 母と私は、暗闇の勝る夜空を、首が痛くなるまで見上げていた。静かな夜だった。
「ようし、四畳半が潰れる前に戻って、今夜もうひと頑張りしようか」
「うん」
「それから、明日にでも久々に、七夕飾りを用意しましょうよ」
「いいね。私もそう思った」
「やっぱり」

 五色の短冊と、お星さまと、それに天の川を作ろうと思う。作り方憶えているかな。風に吹かれてさらさらと葉を揺らす笹を思い浮かべると、青草の香りが鼻腔に広がってゆく気がした。
                           おわり

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