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掌編「ねえさん」

 すすむは独身だが、三つ上の兄には嫁と、夫婦にとって宝物の様な一人娘が居る。兄等の暮らす家が進の暮らすマンションと同じ市内にあって、進は二人が付き合い始めた当時からあによめと仲が良い。結婚後に生まれた姪ともお菓子や玩具を沢山貢いで仲良くなった。兄との関係も、休日が合えば飲みに行くかと気軽に足を揃える位に近いので、矢張やはり世間一般と比べて同程度か、或いはそれ以上に良いといえた。

 進は毎年冬の寒さが和らいでくると、ああ、そろそろ姉さんの誕生日かと思い出す。別段手帳にもスマホにもメモはしておらず、意識して憶えていると云う事でも無かったのだが、春の嵐だとか、ひな祭りだとか、花粉症だとかで世間が騒がしくなると、やっぱり「ああ」と思い出す。そうして、今年は何か上げようか、それとも止そうかと、まずはそこから悩み始める。悩んだ末に、結局何も渡さなかった年もあった。だが割合頻繁に顔を合わせるので、誕生日の時期には、どうせ会うのなら手土産の積りでもと思って、苺やお菓子をぶら下げていく事もあった。
「姉さん、そろそろ誕生日でしたよね」
 進がそう云って袋ごと持参した物を差し出すと、嫂は決まって、
「憶えてたの?ありがとう」
 と笑う。進は憶えていたとも忘れていたとも屹度きっと言わないが、ちよちゃんにもあげて。と姪の名を出して答えるのだった。

 嫂は快闊な女性で、家の中に居てもじっとはしていられない様な気性の持ち主で、手が空いたと思うと布巾を片手に棚の上やらコンロ周りやらを拭いて活動する。ちよが幼稚園児になってからは一層活動家になって、その影響なのか、ちよも随分活発な娘であった。進が手土産持参して家を訪ねると、ちよは子猿のようにはしゃいで家の中を走り回る。嫂に注意されてもまだ走っている。進が「ちよちゃん今日も元気だな」と声を掛けると、益々はしゃぎ出して止まらず、とうとう嫂が雷を、それでも半分位の力加減で落っことすと、一応大人しくなるのがいつもの流れであった。進はもう一人位子どもが居ればもっと楽しかろうと単純に思う事もあったが、いつか兄と二人の時、嫂がもう子を産めないのだと聞かされてからは、彼女等の前でそんな事は考えないようになった。

 進はさて今年はどうしようかと考えた。折角思い出したのなら、何か贈って遣ろうとも思う。だが、何を上げようかと考えても、中々これと云う物に辿り着かない。例年の如く食べ物でも構わないだろうが、たまには違う物を渡してみたいという好奇心も少なからず胸の内には在った。今年の花粉は去年の三倍飛ぶとかで、街を歩けばマスク姿の人が多い。進は通りをずるずる歩くうちに、いつも差し入れを買うドラッグストアの前までやって来た。表のワゴンに積まれたお菓子を眺めながら、気持ち半分はもうここで済ましてしまおうと云う方向へ傾いて、ところが半分は何だか納得しないので、結局店には入らずに、また先へ歩き出した。

 通りを一本、気紛れに横道へ逸れると、今まで知らなかった花屋に遭遇した。進は植物に全然詳しくないので、入り口から奥までまるで豊かな自然に囲まれたような、観葉植物から切り花から鉢植え迄、見事に飾り立てられている、それらの植物の名前が何一つ分からないのだが、まるでお店らしくないその花屋に惹かれて、足は段々店の中へと引き寄せられて行った。入ってすぐ左側の木製の台の上へ、小さな鉢植えポットがぎゅうぎゅう並んでいた。一つ一つが本当に小さくて、だがそこにある植物はみんな青々としていて元気な様子である。思わず屈んで眺めていると、店員が傍へやって来た。そこにあるのはみんな多肉植物だと説明してくれる。聞いた事はあるがそれが何かは知らなかった。けれども要するに、今目の前にあるのがそうなのだ。
「育てやすいですか」
 進が尋ねると、店員は簡単で手が掛からないのがこの子たちの良い処だと言った。日当たりと風通しに気を付けてやればそれ程手間は掛からないのだそうだ。
「それじゃ幾つか買って行こう」
 進は数あるポットの中から、選りすぐって三つを決めた。それぞれに名前と、裏には育て方の説明書きが載ったタグが差してあった。プレゼントにすると言うと、店員は可愛らしく包んで用意してくれた。進は今年の贈り物に如何いかにも満足した様子で兄の家へと向かった。

 表でチャイムを鳴らしたが、反応が無い。どうやら三人共留守であるらしい。事前に連絡を寄越すべきだったかと思いながら、ドアの前に袋を置いて帰ろうとした時、
「あら」
 とよく知った声が帰宅する。進は顔上げて嫂を振り返った。
「姉さん、今お帰りですか」
「ちょっと買い物に行って来たの。これからちよを迎えに行く所よ」
「そうですか」
 玄関の鍵を開けながらそう説明した嫂は、間もなく進の手元に気が付いた。視線の落とされて進も自分の手元の物を思い出す。
「もう直ぐ誕生日でしょう。これをあげようと思って来たんです」
「憶えててくれたの、ありがとう」
 差し出された袋を覗き込んで、
「まあ、可愛いわね」
 と笑った。袋ごと受け取って、もう一度覗いて、元気ねえと呟いている。
「それじゃ、ちよちゃんにもよろしく」
「もう帰るの?」
「また遊びに来ます。今日は用事があるから」
「そう。今度はゆっくり遊びにいらっしゃい。ちよも喜ぶから」
「そうしましょう」

 特に用事は無かったのだが、目の前で開けられるのが何だか気恥ずかしくなって、進は遂退散してしまった。数時間後、進のスマートフォンにメッセージが届いた。
「素敵なプレゼントありがとう!三人の名前が入ってるってちよが大発見!本当だ!ちよに言われる迄気が付きませんでした!!進君、言ってよ先に(笑) 大事に育てます」

 進は満足気に笑って、その拍子にくしゃみが一つ出た。さては花粉症か、それとも二人が自分の噂してるのかしらと思う。思いながら、何て返信しようかと、手元の画面に楽し気な瞳を落とした。

                       おしまい


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