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短編「私の運転人生と家族の物語」

 私の家庭における役割は、車の運転手だと、自分でも思っている。

 高卒で免許を取って、バイクにもよく乗ったし、家族が出来てからは、憧れのカローラのハンドルを握り締めて、あちらこちらへ遊びに出かけた。妻も、一人ずつ増えていく子どもたちも、私の運転の「おでかけ」が大好きであった。

 三人目が産まれた時、私はカローラに別れを告げることにした。この先も、どうやら私の家族は増えるような、そんな気がしたのだ。そして、私の予想は当たった。妻は小柄ながらも健康そのもので、丈夫な子どもを次々と産んでくれた。私も一層身を入れて仕事に取り組んだ。

 わが家の車は暫く八人乗りに落ち着いていた。家族全員で出かけるには、必須アイテムであった。さながらバスの様な車内は、いつも家族の賑やかな声が響き渡った。

 子どもたちが一人ずつ社会へ独り立ちしていく中で、あれほど丈夫であった妻があっさり旅立ってしまった。もう一度乗用車の助手席に乗せてやりたかった。バイクの後ろへ乗っけて走った、まだお互いに髪の毛も黒く艶やかだった日々が、あまりにも遠い過去になってしまった。

 しかし私には、残された子どもたちが居た。この子らの為ならば、命がけで生き抜こうと、妻に、先祖に誓った。

 十年かけて、最後の一人迄を、無事社会に送り出すことが出来た。そのお祝いじゃないけれど、一番上の子どもが、私の運転で久しぶりに全員で出かけようと言い出した。私は何だか照れ臭かったけれども、非常に嬉しかった。

 このご時世、集まるだけでも一苦労だった。時期をみて、漸く集まれた日、お互いのマスクの下で、似たような照れた笑みを見せているのが分かった。

 高速道を走る数時間、二番目の子どもが作ってくれた音楽リストを流しながら走った。行き用と、帰り用。家族の好きな曲、思い出の曲が詰まっていた。マスクをしているからと、いつしか堪え切れずに大合唱。もう、一蓮托生でいいんだ。私はそう開き直って、必死でハンドルを握っていた。

 帰り道、先ずは高速道を降りる頃、スピーカーからはZARDの「負けないで」が流れて来た。長距離運転を労うという、子どもの茶目化であるらしい。何だか勇気が湧いて来た。妻が、大好きな歌であった。

 それからとうとう、あと少しで家に着くという所まで帰って来た。愈々最後の一曲だ。そう思った時、懐かしいメロディーが、私の全てを覆い尽くした。

 坂本九の「上を向いて歩こう」だった。前奏だけで、私は視界を滲ませそうであった。私は運転手、安全第一。そう思って、気合を入れた。上は、ちょっとまだ、向けそうにない。走行中だから。子どもたちも各々にこの曲を聞いていた。誰も何とも喋らない。マスクの下で、今頃どんな顔してるだろう。気になったけれど、口を開くことは出来なかった。

 無事家に着いて、みんなまた、それぞれの日常へ帰って行った。「頑張れよ」「無理はするな」「お父さんもね」「また会おう!」

 私たちの人生は、先が見えない。今夜何が起こるか、明日は無事に来るのか、それすらも知ることが出来ない。けれど、どんなに怖くとも、悲しくとも、私は最後まで自分の人生を歩き切りたいと思う。かっこ悪いおじさんだろうと、頭が薄かろうと、もしもボケても、それでも生き抜いてやろうと思う。それが私にできる、子どもたちへの最大にして、最後の贈り物になる予定なのだ。私は死ぬまで、二人分届けるのだ。

「負けないで」分かってる、大丈夫さ。

「上を向いて歩こう」その通り、やってのけるよ。

 みんなで。

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