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「歌舞伎と私」

 いつか歌舞伎座で、生の歌舞伎を見たい。十年以上も前になるけれど、いつの間にか歌舞伎に興味を持っていた私は、そんな夢をずっと抱いている。
 日曜の夜に、クラシック音楽や古典芸能を放送している枠があって、歌舞伎を放送する週もある。茶の間で観賞は、歌舞伎素人の入門には丁度良い入り口である。そこで数年前に中村勘九郎さんの「猿若」を見た。現代劇とは違う、独特の雰囲気と、所作。役者の動きには凛とした凄味と、豪快な立ち回りの迫力と両方が在って、私は画面に釘付けになる。しかし何より一番の衝撃は、歌舞伎はずっとお客を離さない所だった。

 客は勿論芝居を観に行っているのだから、舞台を見ている。そして役者たちは見てもらうために演じている。だが、役に没頭して演じ切るのとは少し違った。常に目の前の客を引っ張っている。誰も置いて行かない様に、先導しているような気がした。掛け声の効果もあるだろう。「中村屋!」私も真似してみたい。あちらこちらから上がる拍手と笑い声。然しそれを拾い続けるわけでは無い。あくまで先導しているのは演者のほうで、然し誰も奢らず、丁寧で、其れなのに引っ張っている。付かず離れず、「私たちについて来い!」と頼もしく言ってもらっているような気のする。その一体感の作り方が、お見事だと思った。これは他の演劇にない空気だと思った。正直に言って、惚れた。

 私は時代小説に一頃夢中になって、寝ても覚めても時代小説を追い掛けていた時期が在る。侍の心構えや所作を尊敬して、今でも自分の中へ生き方の指針として取り込んでいるが、歌舞伎の世界からも、見習いたいと思う所が山の様にあった。辿り着くべきものであったかと思えた。 

 ただ、素人が一人で歌舞伎座へ入るのは、難しそうである。挑戦することに躊躇いはなくても、物事には踏むべき段取りがあるものだし、観劇の作法もある。何より屹度、先達が在った方が面白いに決まっている。だから私は未だ夢のまま温めている。
 然し去年、少しだけ似た環境で歌舞伎を味わえる機会に巡り合った。シネマ歌舞伎である。劇場の大きなスクリーンで歌舞伎を観る。テレビよりも大分大きい。其れに自分の周りにも歌舞伎が好きでやって来る客が入る。一緒に味わうことが出来るのだ。行こうと思って直ぐにチケットを購入した。演目は「桜の森の満開の下」。中村勘九郎、七之助兄弟や、現松本幸四郎の市川染五郎氏が出演されている。歌舞伎と現代劇の融合のような、幻想的な作品である。
 平日のためか、演目の為か、周囲の年齢層は高め。けれど私は何にも気にならない。さあ一緒に楽しみましょうという気分で、上映開始を待っていた。流石に掛け声は飛ばなかったけれど、笑い声が響いた。とても面白くて、終演の迫るのが惜しいと思ったほどである。行って良かった。取り組みに感謝である。

 矢っ張り歌舞伎役者は凄い。細部まで緻密に計算し尽くされた舞台である。そして、そういう舞台を客に見せるため、其処へ辿り着く為に、日々を共にし、一本一本お芝居を作り上げている舞台裏の人々と、全てが家族同然、一体となってそれぞれが己を捧ぐ。それが日本の伝統芸能、歌舞伎であると、私は心底感動した。

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