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「KIGEN」第四十回



 矢留世が名前を出すと、犬飼教授はハッとして顔を上げた。

「知っていたのかい」

「名前を呟いた親方が居ました。それで僕も気になって調べていたんです」

「はは、なんだ・・そうか、知ってたのか・・僕はてっきり、名を明かしてもチームには断られると思ったから・・なんだ・・それじゃ強引に連れ出して僕の独り相撲だったね」

「どんな理由が存在していようと、あなたは守るべき存在を危険に曝す真似したんです。それは彼の夢への冒瀆ですよ。愛情も敬意もない、自己満足です」

 三河に容赦ない正論を叩きつけられて、そんな真似にはもう長年遭うことも無かった教授は、顔を歪ませた。頬と首筋にできた影が濃く、窶れて見える。

「大丈夫。結果オーライですよ」

 いちごうだった。

「私は大丈夫、元気です。それに教授はちゃんと愛情持って接してくれました」

 二人で移動中の車中、話し掛けないでくれと言った教授が自らいちごうへ話し掛けた事があった。何処までも緑に覆われた一本道を走っている時だった。


――「雪だるまの融解温度は何度だと思う?」

 突然のクイズだったが、いちごうは直ぐに応じた。

「零度以上でしょうか」

「そうだね。それじゃあ雪女は何度だと思う?」

「雪女?・・・妖怪ですか。私には難しい質問です」

「直感で良いよ、気軽に答えて御覧」

「ううん、日差しくらいかな、二五度以上とか」

「なるほど、考えたね」

「正解は?」

「人肌―。雪女はね、人の温もりに触れてしまったから消えたんだ。死に追いやろうとした相手の温もりに、触れてしまったから・・と、僕は思っています。いちごう君、小泉八雲は分かるかい?」

「はい、ラフカディオ・ハーンですね」

「さすがの知識量だ。知らない作家は存在しないね」

「はい、ありがとうございます」

「いちごう君はどうだい?」

「え?怪談ですか?嫌いじゃないです」

「いや、融解温度の話だよ。自分は何度だと思う?」

「一六六八度」

「ほほう、チタンの融点か」

「はい。でも実際は肉体がありますから八〇〇度くらいでしょうか」

「どちらにしてもニホンミツバチよりずいぶん高いね。彼等はおよそ五〇度が致死温度だ」

「・・・致死?融解温度の話ではなかったのですか」

「同じことだよ。雪だろうと草だろうとまがい物だろうと、虫も人もみんな命だ。命は一つずつで平等だ。融ければ消える。燃えれば消える。消えたらおしまい。命のおわりはみんな等しい」

「そうか、なるほど。では教授は?」

「致死温度かい?それとも融点?僕は早いよ、歳を重ねてその分詰まっていると思うかもしれないけれどね、実際はスカスカだからね」

「悪い冗談です」

「はは、君は優しいね。素晴らしいAIであり、同時に心優しき人間だ。御目に掛かれてほんとに光栄だったよ」

「・・ありがとうございます」――



「犬飼教授は私に命について考える機会を与えて下さいました。素晴らしい授業でした。人生で初めて人から直に、画面越しではない授業を受ける事が出来たのです。それは愛情の証であると私は思います。

教授はやり方を間違えたのかも知れませんが、私たちに必要な御方です。どうか寛大な御対応をお願い致します」

 いちごうがこう言って頭を下げた時、

「人の家の玄関先でうるさいぞ」

 と怒鳴り込んで来た者が居た。一同へ睨みを効かせて、まわし一丁の姿を一つ見つけるなり眉を顰めた。

「誰だ、あんた等は」

「あなたこそ誰ですかいきなり」

「失礼だよいちごう君」

「儂は島田源三郎だ」

 源さんだった。

「垣内部屋の元横綱・大航海だよ」

 説明加えた矢留世に源三郎の鋭い視線が飛ぶ。古い話を持ち出すなと言わんばかりの顔だった。睨みつけて、さっさと踵を返して帰ろうとする源三郎を一同が追い掛ける。来るなと言われても簡単には引き返せない。取り縋って、訴えながら、呼び掛けながら、とうとう家の前まで付いて行くと、怒鳴られたが、別にもう一人玄関から姿を現した。五十代位の女性だ。人の数に多少驚いた様子で、しかし一人まわし一丁の姿を認めると、まあまあと微笑して一旦奥へ引き下がった。源三郎が余計な事しなくていいぞと家の中へ怒鳴るが、間もなく女性は手に何かを携えて出て来ると、いちごうを手招きで呼んだ。



「かっこいいね、嬉しいなあ」

 姿見の前で浴衣を着せてもらったいちごうは、上機嫌で自分の姿を鏡に映した。

「良かったね」

 付き添った奏は喜びを露わにするいちごうに笑顔を浮かべて、着付けてくれた女性、名をカエデさんと言った。に丁寧な礼を述べた。カエデさんは穏やかに笑った。

「驚いたね、人が訪ねて来る事も滅多に無いけれど、それよりも男の子が一人だけ、まわししか身に付けてないんだもん」

「えへへ、大変失礼を致しました。少し事情がありまして」

「あらそうなの?てっきりお稽古中かと思ったわ」

「そうですそうです、お稽古中でした。私は力士になるものですから、毎日稽古をしています」

「まあ偉いのね」

 カエデさんはいちごうの笑顔に目を細めた。まるで去りし日でも懐かしむような表情をしていた。

 一方いちごうのどさくさでちゃっかり客間へ通された一同は、源三郎と対峙して、角界入りの世話を頼みたいと頭を下げていた。ところが源三郎は早々に立ち上がり聞く耳を持たない。

「儂は宅配便でも来たのかと思ったから出て行った迄だ。お前らのような人間は知らん。さっさと帰るがいい」

「そこをなんとか、お願いします。話を聞いて下さい。お手間は取らせませんから」


第四十一回に続くー


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