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執筆について徒然なるままに

昨日の夜、どうしても死にたくなって、どうやって死のうか実際に頭の中で繰り返してました。でも結局死ぬなら新しい小説書いてなんとかしたいと思いやめることにした。

なんでこうも死にたいと思うのかというと、現実が耐えられないからだと思う。
現実と私がうまく引っかかってくれないというか、交差しないというか。
うまく説明できないのはリアルの知人がこのペンネームを知っているから具体的な話はできないというジレンマがある。

それならばペンネームを変更すればいいと思うのだが、長い間この名前で活動していて愛着もあるし、知ってくれている読者さんが割といるからだ。
それと自分の性格的に家族に秘密で何かをすることができない。
損な性格だと思う。罪悪感なんて捨ててしまえればいいのに。

とは言ってもいつかドキュメントを書いてみたいとは思っている。その時は別名義にするかもしれないし、またこの水瀬そらまめにするかもしれない。それはまだわからない。

私は病気を患っている。
統合失調症、解離性人格障害、躁うつ病。
三つの病気を持っている。これはリアルで知っている人が多いので書くとする。
この病気で悩んでいるのはもちろんそうだけど、それだけだと自分の存在意義がないような気がしてくる。いつか同じように苦しんでいる人のためにも勿論自分のためにも書いてみたい。そして苦しむ家族のためにも⋯⋯。

しかし、これらが上手いこと合わさって小説へのモチベーションに繋がっている。
書いていればなんとか生きていけるからだ。
でも症状が良ければ書かないというわけではない。
それならそれで比較的、健全なものが書ける。
私は小説は、どんな人でも自由に書いていいと思っている。
書きたいものが溢れてくるんだろうから書けばいいんだ。
それがどんなものでも努力する(書くというのはエネルギーがいるもの)ことが大事だと思う。終わったあと、すごく充実するというか、また次にはなんの話を書こうかと考えるだけでワクワクするしね。

今、書きたいものが出てきてる。
以前書いたファンタジーものじゃない。等身大の自分を反映させたお話。

実は隣の家にイングリッシュガーデンがある。個人宅だ。
それは半端なものではなく近所でも有名で、時期が来ると「ガーデン巡りの旅」の観光バスがやってくるほどなのだ。雑誌にも載ったことがある。

そんな素材の宝庫があるのだ。
個人宅なのにすごい。住んでいる人もすごく個性的で想像力がウズウズする。

そこをモデルにした話を今、頭の中で考えている。
簡単なプロットを書いて、次は文芸誌の文藝に出してみようと思う。
文芸誌は純文学だから自分には無理だと思っていたけど、今のプロットならもしかしたらと思うのだ。
それと純文学はエンタメより自由でいいんだというセリフを聞いた。それが本当ならば希望が持てる。

仕上がった作品が自分でもその水準に達しててないと思ったら、やはりライト文芸に舵を切り直して変更するかもしれない。
その辺は頑なにならず臨機横柄にいきたい。

某編集者さんが言っていた。
「小説賞に合わせた作品を作るのではなく、自分が書きたい作品を書いてそれがどの賞に当てはまるのかにして欲しい」と。
私はその言葉を信じたい。

しばらく投稿サイトはお休み。
「文藝」はネット公開した作品は失格になるからだ。
本当は投稿サイトで連載することで追い詰められたい。
あと、投稿サイトのほうが書きやすいというのもある。
実際、文章を書くのに適している作業場だからだ。
文字数も書いているだけでその場でわかるし。
(noteの場合右上に出てくる。これはかなり便利な機能。)
まあ、しょうがない。文芸誌は雑誌を購入して欲しいのだしね。
でもそろそろその狭い門を広げて欲しいとも思う。

作家のいぬじゅんさんのように毎月新刊を出すことができるのは本当にすごいことだと思う。自分には無理。そこまでの筆力はないのを知っている。
次から次へ書きたいものが溢れてくるなんてことは無い。
書くのに時間もかかるし実際一作品書くのに半年はかかる。それでもアヒアヒいいながら書いている。


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