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聖地巡礼〜今幸せ、が連れて行く場所〜4.中尊寺金色堂 (岩手県西磐井郡平泉町)

1124年(天治元年)、奥州藤原氏初代清衡公によって建てられた、国宝 中尊寺金色堂。

中尊寺は、生きとし生けるもの…敵味方の別なく戦で亡くなった全ての人々、そして故なくして死んでしまったすべての生き物…の御魂を慰め、極楽浄土に導き、「みちのく」といわれ辺境とされたこの地方に、仏の教えによる平和をもたらす、という清衡公の切なる願いによって建立されました。

それは、戦乱で家族を失い、骨肉の争いを余儀なくされた清衡公の、非戦の決意でもありました。

清衡公は釈迦如来により説かれた法華経に深く帰依し、その平等思想に基づく仏国土を平泉の地に顕そうとしました。

法華経の教えに浄土教や密教を加え大成された天台宗の教えに基づき伽藍(がらん)を建立した境内には、鎌倉幕府の公的記録『吾妻鏡』によると、寺塔が四十、禅坊(僧の宿舎)が三百にも及んだ、といいます。

二代基衡公は、父の志を継いで薬師如来を本尊とする毛越寺の造立をすすめ、三代秀衡公は阿弥陀如来を本尊とする無量光院を建立しました。

三世仏(過去釈迦、現世薬師、未来世阿弥陀)を本尊とする三寺院の建立は、すべての生あるものを過去世から現世さらに未来世にいたるまで仏国土に導きたいという清衡公の願いの具現であり、みちのくの平和、平泉の世紀、は三代百年続きました。

清衡公は『中尊寺建立供養願文』の中で、この寺は「諸仏摩頂の場」であるとおっしゃっています。

「諸仏摩頂の場」とは、この境内に入り詣でれば、ひとりも漏れなく仏さまに頭を撫でていただくことができる、諸仏の功徳を直に受けることができる、ということです。

外側だけでなく、内側も全て金箔で押された金色堂を人々は、「皆金色の仏堂」と呼びました。

全てのいのちを慰める極楽浄土の有様を現世に顕したい…。

平安期の奥州藤原氏は、砂金や駿馬などの東北の物産品、そして北方から届くワシやアザラシの交易によって大きな富を得ていました。金色堂の建設には、この富が惜しみなく投じられました。

金色堂は、京都から仏師や塗師など、往時一流の職人が集められ、工芸技術の贅を尽くして建てられました。

内陣部分は、シルクロードを渡ってもたらされた夜光貝を用いた螺鈿(らでん)細工、象牙や宝石によって飾られています。

内陣を囲む四本の巻柱には、平安期の漆技法の粋を凝縮した蒔絵と螺鈿の細かな装飾により、一本に十二体、合計四十八体の菩薩様が描かれています。漆工芸で描かれた菩薩様は大変珍しいのだそうです。

須弥檀の中心の阿弥陀如来は両脇に観音勢至菩薩、六体の地蔵菩薩、持国天、増長天を従えておられ、全て国宝であり、他には例のない仏像構成となっています。御堂の中には全部で三十三体の金の仏像が安置されています。

初代清衡公、二代基衡公、源義経を奥州に招きいれた三代秀衡公、そして四代泰衡公が、美しい孔雀のあしらわれた金色の棺に納められ眠っていらっしゃるのだそうです

漆、螺鈿、それに本物の金箔が織りなす、重さと温度のある、蜜のような光が溶け合う金色堂は、まるで時間が存在しないかのような幽玄の世界でした。極楽浄土というのは本当にこの様な世界なのかもしれないな…と思いました。

幼い頃、貝細工の施された美しい鼈甲の櫛をはじめて手に取って、時間を忘れて眺めていた時のような、どこか懐かしい感じがしました。

小さなお釈迦様に甘茶を掛けた、幼稚園のお花祭りを思い出していました。お花でいっぱいに飾られた小さなお家の中に居る、ののさま。甘茶独特の濃い色と味。薄明るい御堂に満ちる甘い匂い。一年に一度だけの、小さな子供の私の目の前に、お釈迦様がやって来て下さる時間でした。

中尊寺では丈六仏も沢山拝見しました。丈六仏とは、立っている状態で高さが「一丈+六尺=十六尺=約 4.85 m」の仏像のこと。丈六仏より大きい仏様を「大仏」と呼びます。座っている、半分の高さの坐像も丈六仏と呼ぶそうです。

本堂の御本尊は像高約2.7mの坐像。台座・光背を含めた総高五メートルに及ぶ丈六の釈迦如来様。清衡公が「丈六皆金色釈迦」像を鎮護国家大伽藍の本尊として安置していたことにならい、平成25年に造顕・開眼供養されたそうです。

また、金色堂のすぐお隣の讃衡蔵(さんえいぞう)では、三体の丈六の坐像が並んで迎えてくださいました。

向かって左は薬師如来様。閼伽堂に安置されていたため、閼伽(あか)薬師とも呼ばれています。

真ん中にいらっしゃる阿弥陀如来様は昭和30年まで、本堂の御本尊でした。

右の薬師如来様は峯薬師堂に安置されていた仏様。峯薬師様はお花の形のような光背をしていらっしゃいます。こんな仏様を見たのははじめてで、思わず「可愛い!」と口に出して言ってしまいました^^

祖母が「仏教に親しむ会」という勉強会に参加していた為、私は祖母に付いて、物心つく頃から、お寺を巡り、何も分からないまま仏像を見上げ、和尚様の説法を聴いていました。

私の実家は、浄土真宗の大谷派で、門徒物知らずと言われ、何も知らなくても良い、全ては阿弥陀様がしてくださるから只お念仏を唱えていれば良い、人は亡くなればその瞬間に極楽浄土に行く事が出来、全ての人は仏の子であり、生きている私達が今いかにして生きるか、それだけが亡くなった同朋への供養だ、と教えられました。

幼稚園も偶々同じ宗派で、御堂で遊んで見上げるといつもそこに阿弥陀様が居らっしゃいました。

祖母は毎朝お経を上げ、ご飯が炊けたらまず一番に仏様に差し上げました。小さな金色のお鉢に炊きたての真っさらなご飯をよそって、御仏壇の扉を開けるのは、子供心に何か大切なお仕事をもらった様な嬉しさでした。

次男はシュタイナー教育の幼稚園に通っていたのですが、こちらの幼稚園では教室に天使様の絵が飾られ、先生が毎日お花を飾りお水をお供えしていました。

目には見えないけれど、そこに居る何か。
いつも側に居て見守ってくださっている、確かな存在の気配。
周りに居る信頼する大人の背中を見ながら自然と育っていくもの。
安心感。大きな力といつも繋がっている感覚。

阿弥陀如来様は「南無阿弥陀仏」と唱えたあらゆる人々を必ず極楽浄土へ導くと誓いを立てた仏様。

薬師如来様は、人々の現生のあらゆる願いを叶えると誓いを立てた仏様。

奇跡のコースでは、神は、真実は、私達を幸せにすることを絶対に諦めない、と教えられます。ワークブックのレッスン136にはこんな風に書かれています。

「真実はただあなたに幸せを与えることを望むだけです。というのは、それが真実の目的だからです。

あなたが真実の贈り物を投げ捨ててしまう時、ひょっとすると真実は少しため息をつくかもしれません。

しかし、真実は完璧な確信を持って、神があなたのために意図されることは受け取られるに違いないことを知っています。」(出典『奇跡講座』中央アート出版社)


泣けます…。

私達は、何も知らなくても、何も出来なくても、いつもいつも守られ、愛され、幸せを与えられ続けている…。

私の大好きな親鸞聖人のご和讃。

無慚無愧のこの身にて
まことのこころはなけれども
弥陀の回向の御名なれば
功徳は十方にみちたまう
(「正像未和讃 」)

私はこれを、
立派な完璧な人でなくたって
南無阿弥陀仏と唱えれば
阿弥陀様の功徳が海のように世界に満ちる、と理解しています。

親鸞聖人は『功徳大宝海』という御言葉をあらわされています。

ここで言う功徳、というのは善行を積んだ褒美といった個人の範疇の小さな限られたものでは無くて、

私の考えなど及ばない、全てのいのちを幸せにするような、仏様の大きなおはたらき、大悲、と思っています。

臨死体験をした方達によると、いのちというのは肉体を離れると自他の区別無くひとつの大きな集合意識に戻るのだそうです。

それはとても至福の感覚で全てが分かり、時間という概念もないのだそうです。

その意識は、呼びかけらたらいつでも、差し出したい、助けたいと思っているのだそうです。

もし私が肉体を離れて全知全能の集合意識の一部となったら、可愛い子孫達に思い出してもらえたら、名前を呼ばれたら、助けを求められたら、信頼してくれたら、それはもう嬉しくて、何でもしてあげようって思うのではないかしら…。

もし、今あなたに何かお困りの事があれば、見えない優しい存在にお願いしてみてください。

存在は、神様でも仏様でも天使様でも亡くなられた優しかったおばあちゃまでも宇宙でもサムシンググレートでも自分の中の自分でも、誰でも構いません。ご自分のしっくり来る言葉で。

助けてください。
今そばにいてください。
この事の答えを教えてください。
私も皆んなも幸せになる、一番良い方法をお願いします。

きっと驚くような鮮やかな方法で、願いを叶えてくださいますよ^^

では次回は、今回書ききれなかった、中尊寺で見た金色の文字で書かれた護国の言葉について、私が教えて頂いた事を少しだけ書きたい、って思っています。

ここまで読んでくださって、本当にありがとうございます^^

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大きな樹々が迎えてくれます。

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根っこが印象的な樹が多かったです。

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金色堂。拝観直前、ちょうど雲間から光が差してまるで、「よく来たね^^」と言ってくださっている様でした。

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お庭の緑が光り輝いて。

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本堂。

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釈迦如来様が見えますか?

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本堂の素晴らしい松 。

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苔がもふもふ。

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梅雨の晴れ間。涼しくて、人影も疎らで、今此処に来られた事に本当に感謝しました。優しいあなたが連れて行く場所へ、私はこれからも、喜びと共に参ります。

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