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20220217 通院メモ 自分の生き方・・・安心・安全を確保するために

よく、クリニックでは
「自動思考の中から出てくるその人その人が持っている一番根幹の所は何か?を見つけよう」
ということを言われる。
クリニックでは、これを「中核信念」と名付けている。
それは、おそらく何か判断をするときにものすごく関係しているから。
特に、仕事でストレスが大きいのならば、仕事の中でそれがすごく出ているかもしれない。

2017年の年末に、自分がどんなことを求めて、どんなことを実現しようとして仕事をしているか?という事に向き合ったことがある。
これは、自分の信念というか理念というか。
そこで出てきたのは、

「安心・安全な世の中で誰もが生きられるような社会の実現」

という、まあスケールのでかいものだった。
スケールはでかくても、それを実現するには、自分の身の回りで出来ることからやっていくしかない。
自分が関わっている仕事の中で何が出来るのか?
自分の身の回りレベルに落とし込んで行くことで、取り組みの構造化、可視化が出来、シンプルに取り組んでいることを把握することが出来る様になった。

しかしながら、自分の中では結構大きなテーマでもある。
この理念みたいなものが出てきたところには、多分に自分の家族の歴史を知ったこと、どんな教育を受けてきたか、周りの人たちの身に何が起こってきたかというのを知ったことが大きい。
とても大きな悲しみがそこにはある。
悲しみを抱えて生きてきた。
ひとり一人がよりよい生き方(それがどんなものかはわからないけれど)をしても、それでも社会という誰かが得して誰かに損を押しつけるような構造が人を傷つけてしまうような事が起こりかねない。
そんな社会を作っているのは、誰のせいでもなく自分自身なんだという事を思うようになった。

そんなことを背負わずとも良いのにと今更ながら思う。
しかし、そこが根本にあるからこそ、それが行動のエネルギー源になっていたのは間違いない。

根本的に圧倒的マイノリティー(自分も含めて)に対して、切り捨てるようなことはしたくない、切り捨てられたくない、救われるような世の中になって欲しい。
世の中にはバランスというものがあるということも知っている。
しかし、一部の力のあるという人達だけが得をするような状況になる判断ではなく、誰もがそれぞれの個性を活かして活躍することが出来る様な社会であって欲しいし、そんな社会で生きたいし、そんな社会を作りたい。
そんな気持ちがとても強い。
せめて身の回りの世界だけでも。
大きな悲しみが訪れないような・・・。

でも、こうした思考はあくまで思考の世界。
イメージなのだとリハビリの先生は言う。
さらに、
「『正しいことをすれば、他人を変えることができる』というのが大前提になっていますよ。出来ると思い込んでいる。これがまさに、イメージの世界です」
とも、言われる。
「そう簡単に人を変えることなどできないし、人をコントロールすることなど出来ない。変わろうと思って居る人にアプローチすることは出来ても、変わりたくもない人に言ってもものすごくエネルギーの無駄ですよね。」

そうなんだ。
そこで、考え方を変えることにした。
一緒に学ぼうと思う人と、安心・安全な空間を作ることが出来る様になれば良い。
復職したら、そこを目指そう。

スタートラインはそこにあると気づけた。
それが、自分の持てる力の範囲だし、エネルギーを使う事の出来ることだから。
そして、ストレスのない仕事の仕方になるだろう。
そういうことが見えてきた。

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