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12月5日 通院メモ 時間の感覚と冬支度

時は流れ、季節は着実に進んでいく。

もともと、同じ様な毎日が過ぎていくような生活をしていることもあるのかもしれないが、時が過ぎていく感覚が乏しいような気がする。
いつまでも、同じ毎日。
いつまでも、時が流れない。
そんな感覚。

いいときも悪いときもそう。
そして、願望としてそういうのがあるのかもしれない。
いいときは、ずっと同じ日が続いてほしいと感じるし、悪いときはいつまでもこの苦しみが続いてしまうように感じる。
この感覚の中にハマってしまっているときは、物事の締切に対して鈍感になったりするし、なにか準備をしなければならないときの段取りができなくなってしまう。

そんなこともあってか、自分の内面は幼稚園や小学生の頃から変わっていない様な気がする。肉体に関しては、図体はでかくなり、体力もなくなり、そして老けを感じてきているにもかかわらず。
自分の幼い内面がいつまでもある感覚。

時間が過ぎたことによって、変化が生じるのは当たり前。勤務先などで人の出入りがあったりするのは当たり前。
それは抗うことは出来ない。
だからなのかわからないが、終りを迎えるようなことがあるときに、途轍もなく寂しさがでてきて、悲しくなってしまう。
ホントにものすごく寂しい。
いつまでも、ずっと変わらないということはないはずなのに、いつまでもずっとそのままであるような感覚がある。
時が過ぎていく感覚を持ったとき、いつまでも自分が変わっていなくて、進歩していないような感覚を覚え、そしてものすごく焦りなどが出てくる。
そして、猛烈に落ち込むような感じが起こる。

だからといって、何も受け止めていないわけではない。
今日は、放射冷却のために朝方の冷え込みがとても強く、比較的暖かい地域である居住地でも、最低気温は3度まで下がった。
そして、冬が近づいているということもあり、今日は車の半年点検と合わせてスタッドレスタイヤに履き替えることもしてきた。
先週からは、敷毛布や掛毛布などをセッティングして、暖かく寝ることができるようにもしている。

だから、全く季節が移ろっていく感覚がないわけではない。

でも、毎年の生活の中で、月日が流れる感覚がほんとに乏しい。
自分が生きている時間の感覚というのは、一体なんだろうか?

未来を見ることがとてもむずかしいのかもしれない。
過去にあったことばかり見てしまうところがあるのも、こういった時間の感覚が大きいのかもしれない。

ディーラーから点検が終わって帰ってくる道すがら、そんなことを考えていた。

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