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今、こんなアルバムを作ることができる人はいるだろうか?ー中島みゆき「わたしの子供になりなさい」

1998年に発売されたこのアルバムは、名曲揃い。
テレビドラマや映画のタイアップ曲がこの時期多く、「命の別名」「私たちは春の中で」「愛情物語」がそう。
また、竹中直人に提供した「紅灯の海」という曲もある。

まあ、何よりも1曲目からガツンとくる。
アルバムタイトルとなっている「わたしの子供になりなさい」は、これ以降に増えてくる人間の根幹に訴える作品の流れへ変わっていく旗印のようにも感じる。
だって

もう愛だとか恋だとかむずかしく言わないで
わたしの子供になりなさい

ですよ。
愛とか恋とかいっている場合じゃないって宣言してる。
この流れは、「命の別名」「清流」「紅灯の海」と、このアルバムの中核になっている曲にも現れていると思う。

圧巻は、最後の曲「4、2、3」。
曲の長さは12分20秒。
ただでさえ、事件は風化していくし、衝撃的だった事も当事者で無ければ記憶の遙か彼方に消えていく。
ところが1997年4月23日の出来事は、この曲で、中島みゆきという存在が、世の中の記憶の遙か彼方に消えるまで、風化されずに固定され続ける。
もう、曲を聴いてもらうしかない。
ぜひ、一人でも多くの人に聴いて欲しい。
圧巻は、こんな詞。

この国は危ない
何度でも同じあやまちを繰り返すだろう 平和を望むと言いながらも
日本と名の付いていないものにならば いくらだって冷たくなれるのだろう


慌てた時に 人は正体を顕わすね


あの国の中で事件は終わり
私の中ではこの国への怖れが 黒い炎を噴きあげはじめた

この棘のなんと鋭いことか。
ほんとに、クラクラする。
いま、「この国は危ない」と言える人がどんどんたたかれていく現状があるように思う。ネットの世界は、平気に人を傷つける人が多すぎるような気がして怖すぎるように感じてしまう。

前の年、97年はアルバムがリリースされなかった。
ほぼ毎年出ていただけに、「どうしたんだろう?」という感じもあったが、このアルバムを聴いて、ぶったまげたのを思い出す。
包み込まれるような優しさと、それでも自分や社会への棘とが同居する、重厚感のある、中身の濃いアルバムになっていた。

ちなみに、このCDを聴くのは、というかこのアルバム以降、中島みゆきの楽曲はオーディオ機器をものすごく選ぶようになったと思う。この頃くらいから音圧が上がっているのか、音量のレベルが上がっているのか、安物の機器で聴くと、スピーカーからびびり音や割れた音のオンパレードになってしまう。これはヘッドフォンをしていても同じ。ボリュームを絞っていても同じ事が起こる。
2曲目や3曲目など、さびなどでこの現象が起こる。
アンプやスピーカに余裕のある機材でないと、ダメみたい。

ちなみに、このアルバムはLP版も発売された。当時、レコードプレーヤが有る実家からは出ていたので、持っていても仕方が無かったのだけれど購入した。
そして、レコードプレーヤーが治ってきたことで聴くことができた。
レコードでは、CDで起こるような音の割れはなかった。CDもAPO版があったりしたけれど、このアルバムはLPが一番良いのかもしれない。

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