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20240126 療養メモ 不安は完璧主義の裏返しかも・・・双極性障害との付き合い方

昨日は、思考の出発点として、最悪の事態を想定するところがあり、それが不安につながっていることを書いた。

このことについて、悪いことばかりではない。
実のところ、良いところもあるのだ。
なぜならば、よく災害などでいわれる「想定外」というのは、最悪の事態を考えておけばあり得ない話だからだ。

たとえば、巨大地震が起こった際に原発がメルトダウンを起こす可能性については、1980年代後半に広瀬隆が「危険な話」「眠れない話」「最後の話」の3部作ですでに言われていた。

当時、中学生だったのだが、この本を読んでいたので、東日本大震災が起こった際に原発がアンコントローラブルになるのは簡単に予測がついた。
素人にも予測は出来たこと。

経済活動は、何を優先して考えるか?ということを絶えず判断する必要がある。
原発がアンコントローラブルになることを想定していたら、いくらお金があっても足りなくなる。
だから、「安全神話」などという事を言って、優先順位のかなり下位に老いていたのではないか。
大きな機械が何十年も高負荷で動いているのだ。
巨大なちょっとやそっとの事では簡単に制御することの出来ない機器を使っているのだ。
そうしたものが、普通ではないこと、地震などが起こったら、津波がやってきたら、簡単に言うことを聞くはずがない。

さて、自分の場合、自分の感情や気分をコントロールしたいという欲求がある。
しかも、そこに完璧主義が重なる。
だからこそ、あえて不安を大きめに想定しておく感じがある。
少しでも、ショックを和らげたいという自分の感情のコントロールをしたいのだろう。
そこに完璧主義があるのが見えてきた。

しかし、自分の力ではどうしようもないことがある。
自分がいくら不安で、最悪のケースを考えていたからといって、原発事故をコントロールすることは出来ない。
地震が来るのを防ぐことは出来ない。
だから、自分の場合は、
「もしそうなった場合のために、いろいろとできることを、備えることをしておきたい」
という思考になる。
ところが、こうした話をすると、かなりうっとうしがられる。
しつこいと思われる。

多分、自分が言うのでは伝わらないんだろうなぁなんて思ったりする。
よく、「何を言うかよりも誰が言うか」なんて言う言葉があるが、自分の場合は中身がいくら大切なことだったとしても、人に聞いてもらう能力はないのだろう。
伝わっているという実感がないのだ。

こうした経験の積み重ね(と思っている思考)が、自分の自信をなくす方向へと進ませる。
ちょっとでも鬱傾向があるならば、自責が強くなる。
負のスパイラルだ。
鬱になりやすい。
ちょっとでも軽躁傾向があるならば、他責が強くなる。
人の文句ばかり言うようになる。
これも、人との関係性をぶち壊す。
双極性障害の厄介なところだ。

完璧なんてないことは、わかっている。
でも、ただでさえ自分をコントロールしにくいADHDの傾向がある中で、さらに感情をコントロールできない不安感が、余計に自分の状態に不安を抱かせる。
どこかで、こうした思考を断ち切らないといけない。
クリニックで学んだことは、いかに自分をコントロールし続けるかということだった。
そのために、負荷をかけない仕事の仕方を身に付ける必要があったし、負荷をかけない思考や認知の仕方を身に付ける必要があった。
その練習を2年2ヶ月の休職期間、リハビリ期間取り組んできた。
しかし、社会復帰してみると、なかなかそうした自分の体質や特性に合わせた認知の方法をとれないことが増えてくる。
この辺の問題が、今の不調につながっているように思えて仕方ない。

何も考えないことはできるのだろうか? 

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