筏 千丸

筏 千丸

マガジン

  • しゅたいって?

    • 10本

    「しゅたいって?」は同名のトークセッションのために用意されたマガジンです。 2023年3月16日19時より、西小山にて「主体」あるいは「主体性」をテーマに5名の大学生によるトークセッションを実施します。登壇する5名はそれぞれ異なる専門分野を持っています。哲学や建築や農学といったように大学での専攻もバラバラで、本屋さんやWebエンジニアや教育関係といったように学外での仕事もバラバラです。今回のトークセッションでは、登壇者がそれぞれ事前に「主体」をテーマにしたnoteを書くことにしました。5つのnoteをもとに、議論が交錯する点を探っていきます。是非ご覧ください。

  • ケンチクオタクの建築概論

  • シェアハウス仮

    • 2本

最近の記事

精神のシェルター -建築と主体について-

建築は、人間がその身体を超えるスケールで構築する行為を始めた時からシェルターであり続けてきた。それは外界の危険から体を守るシェルターであるとともに精神のシェルターでもあった。 トルコの平原 およそ1万年前、現トルコ・アナトリア半島の平原を見下ろす高台にチャタル・ヒュユクと呼ばれる現存最古の都市が築かれた。猛獣から身を守るため丘の上に建設された日干しレンガのその都市は、小部屋がすし詰めに寄せ集まって蜂の巣のような構造をしていた。各部屋は天井にのみ開口を持ち、人々はハシゴで出

    • 歴史の中で建築を考える〜Virtual Coffee House2022発表振り返り〜

      自主ゼミと雑談の中間のような、上半期に大学で学んだことや個人的な活動を持ち回りで発表する企画がVirtual Coffee House(VCH)だ。zoomをつないで3日に分けて開催し、全国に住んでいてそれぞれに忙しい仲間たちがプレゼン形式で近況報告をしてくれた。離れた分野の話を聞くことはいつでも楽しい上に自分も発表の機会をもらえたので半年の思考を振り返る良い機会となった。 自分のパートでは『歴史の中で建築を考える』と題して30分程度の発表を行った。発表を振り返るにあたって

      • 松本家/りんご/宇宙

        8月27日から3日間、「第1回松本家展 -現在地-」を開催した。まずは一緒に松本家に行って展示制作にも参加してくれたみんな、展示会の開催に尽力してくださったすべての人に感謝したい。実際に会うこともままならないなか、zoomやLINEで相談を重ね展示会の開催にまで漕ぎ着けたことは多くの人の協力なしにはできなかった。短い準備期間でも展示会を開催できて本当に良かったと思う。第2回を開催したいと思えたことが今回の大きな収穫だ。とはいえ、形になったからこそ自分たちの至らなさに気づいた点

        • 物語られる松本家で -1-

          一軒の家があります。福島県は浜通りの西の端に位置する葛尾村の、そのまた北の端の方に建つ二階建ての木造住宅。花崗岩質の裏山(この地方の地質は基本的に花崗岩質ですが)を背にし、玄関前にはなだらかな斜面が眼下の県道まで伸びています。裏山ではスギ、ヒノキやクヌギ、コナラの木立が枝を伸ばし、家の前の斜面には季節ごとの草花が茂ります。一階の内縁からは日々の季節のすべてを見ることができるはずです。その家が松本家、この物語の主人公です。この物語は松本家を中心に、そこに出入りする人たちの思考や

        精神のシェルター -建築と主体について-

        マガジン

        • しゅたいって?
          10本
        • ケンチクオタクの建築概論
          2本
        • シェアハウス仮
          2本

        記事

          シベリア

           2021年3月11日、僕はこの日を福島県内で迎えた。午後2時46分にサイレンが村中に響き、黙祷。  僕らの滞在場所は村外れの一軒家だった。村の中心から車で10分、街灯のないカーブばかりの県道を登る。僕らは毎夜夕食後にその家に向かい、毎日決まって寒さに震えた。福島の3月はまだ冬を抜けていない。夜は特に空気が冷え、氷点下まで下がる日もある。加えてその家の電源は20Aに制限され、満足に暖房を使うこともできなかった。誰かがその家を「シベリア」と呼び、以降すっかりその呼び名が定着した

          シベリア

          空間によって宇宙は私を包み、思考によって私は宇宙を包む。

           周囲を山脈に囲まれて、下草の点在する平原が広がっている。山脈を越えると海を遠望することもできるが、海風は山脈に阻まれて平原までは届かない。それゆえこの平原は一年中いつでも乾燥している。平原の中央を横切るように一本の道が伸びている。古代から利用されてきた通商路だとされる。最初に平原を通過した隊商の足跡を次に訪れた者がなぞり、そのまた次の者も同じ足跡を辿り、そうしていつしか重なった足跡が踏み固められ、道になった。道は頼りなげに揺らぎながら、それでいて明確な一本の線として平原を二

          空間によって宇宙は私を包み、思考によって私は宇宙を包む。

          葛尾村とこころとかたち

          ※おことわり。このお話は私の個人的な体験をもとにして思うところを綴ったものです。葛尾村での学生の生活はこちらを併せて読むと具体的にイメージできると思いますよ。 大学の夏休みを利用して、今年の8月は葛尾村に滞在していました。去年の稲刈りに誘ってもらって初めて訪れて以来何度か訪問してはいましたが、今回が初めての長期滞在になりました。予定としては滞在期間を利用してバースタンドを設計、製作するつもりであり、大袈裟に言うならばアーティスト・イン・レジデンスの真似事をしてみようと思って

          葛尾村とこころとかたち

          ケンチクオタクの建築概論•後編

           「建築とはなんだろう」  建築は行為である。1年間の思考をこの実感から出発させることにした。それは作る人の行為であるとともに使う人の行為でもある。  本屋の建築ブースの棚にはよく建築家の作品集が並んでいる。私がかつて夢中になった本たちだ。だが果たして建築は建築家の”作品”なのだろうか。建築とはもっと多くの人を巻き込んだ共同の営為なのではなかろうか。まずお金を出す人がいて、設計者が線を引き、数々の職人が図面から実際に建ち上げ、使う人がいて建物が生きる。周りの建物を見渡して

          ケンチクオタクの建築概論•後編

          ケンチクオタクの建築概論•前編

           「建築とはなんだろう」  この1年、何をするにせよこのことが頭の片隅にあった。ちょうど1年前の3月、大学に落ちて、知り合いに相談に行った。そこで何気なく言われた一言に冷水を浴びせられた気がした。「建築で何がやりたいの?」自分は何がやりたいのだろう。言葉が出なかった。  それまで建築が大好きだと自認していた。いつも建築のことを考えているつもりだった。でも実際は、お題目のようにケンチク、ケンチクと唱えているだけだったようだ。そもそも、いつから建築に惹かれているのだろう。時間を遡

          ケンチクオタクの建築概論•前編

          雨の日雑記

           私は雨が好きな子供だった。今でも雨音を聞くと心が落ち着く。周りの子たちが外で遊べないとぐずるなか、私は一人で窓の前に座って外に降る雨を見ていた。もちろん、晴れた日には友達に混じって駆け回ったが雨の日にはまた違う魅力があった。  まず何より音が好きだった。雨音と言っても細い霧雨が降り続く時のサーサーという音だ。いくら雨好きでも土砂降りの雨が屋根に打ちつける音には人並みに怯えた。気にしなかったら聞こえないくらいの音がいい。窓辺に座っている自分にだけ静かに降り続く雨がガラス越しに

          雨の日雑記

          燃える ー 燃やす

           干草の束を積む。杉の枯葉を重ねる。広葉樹の細枝や樹皮の砕片を草の隙間に差し込む。チャッカマンを手に取り何度か空に向けて着火した後、干草のなるべく深い位置に差し入れる。カチカチボッ。カチカチカチボッ。何度目かで草に火がつく。火種を失わないように慎重に、それでいて迅速に杉葉と小枝を炎の周りに集める。息を潜めて火をただじっと見つめる。炎の微かな変化も見逃さないように。枝の位置をいじりながら様子を見守る。   ある時、下方から枝に伸びていた炎が枝を取り囲んで渦を巻く。枝に火が移る。

          燃える ー 燃やす

          シェアハウスにローテーブルをつくろう

            シェアハウスに通いはじめて一月ほどが経った。  週末の夜に数人が集まり、夕ご飯を作って食べながら話す。なんということもないことだが、これがすこぶる面白い。別々の学校に通う友人が時折集まって、取り組んでいる活動を話し、日々考えを巡らしているアイデアを相談する。行くたびに新鮮な驚きに出会い、次の機会までに考えておく疑問をもらえることにウキウキするのだ。  笑い声の間に「うまい!」と声が上がるのもまた楽しい。米と野菜は福島県葛尾村から送ってもらっている。目の前の料理と、食材と

          シェアハウスにローテーブルをつくろう