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葛尾村とこころとかたち

※おことわり。このお話は私の個人的な体験をもとにして思うところを綴ったものです。葛尾村での学生の生活はこちらを併せて読むと具体的にイメージできると思いますよ。


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大学の夏休みを利用して、今年の8月は葛尾村に滞在していました。去年の稲刈りに誘ってもらって初めて訪れて以来何度か訪問してはいましたが、今回が初めての長期滞在になりました。予定としては滞在期間を利用してバースタンドを設計、製作するつもりであり、大袈裟に言うならばアーティスト・イン・レジデンスの真似事をしてみようと思っていたわけです。もちろん、知識も経験もない大学一年生がそううまく事を進められるはずもないのですが、それを承知の上で挑戦する気があるならと私を村に置いていてくれた人たちには頭が下がるばかりです。

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村での生活はのんびりしつつも忙しいものでした。タダで宿泊場所を提供してもらうのですから、その分こちらは働いて返さなくてはいけません。朝の掃除と朝夕の畑仕事、それに村の人に頼まれた作業の手伝いが私たちの仕事でした。とはいえ、朝が弱いことは大学生の性のようなもので朝の仕事がしばしば疎かになったことはここで告白しておかなければいけません。宿泊していたZICCAから歩いて5分ほどの距離にある25mプール1面分の広さの畑に毎日野菜を収穫しに行くのですが、お粗末な自分たちに代わってZICCAの大家さんが面倒を見てくださっていましたのでナスやトマトやキュウリがいつでも豊作でした。夕方などは何度も蚊に刺されながら買い物カゴいっぱいに山盛りの野菜を持ち帰るのが恒例でした。SHIOKURIとして全国に発送しても食べきれない量の野菜が手元に残りましたので私たちは日夜新たな調理法の開発に勤しむことになりました。ナスで何品作れるかなどと挑戦しては逸品、珍品がいくつも生まれたのもこの時でした。同時期に村に滞在していた大学生たちは自分達のことをISOUROと呼んでいました。タダで泊めてもらう居候身分を半ば開き直って名乗っていたわけです。この呼び名はなかなか評判が良く、以降村に滞在する大学生の正式名称になりました。

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さて、そろそろISOUROであった私が葛尾村で何をしていたかに話を移すことにしましょう。はじめの1、2週間は村のおじいちゃんやおばあちゃんの家を何軒か回って過ごしました。家に上がらせてもらうことで、葛尾村で暮らしている人はどんな生活をしているのか、大学生が村に出入りすることをどう思っているのかといったことが多少なりとも窺えるかと思ったからです。窺えると言うのも村の人が心情を直接言葉にすることはあまりありません。そのかわり、会話の口振りや突然来訪した自分たちに出してくれる晩ご飯や食事の席での世間話に、言葉では言い尽くすことのできない心がそのまま現れています。これが村の人のコミュニケーションであり、素直な謙虚さなのだろうと思います。東京で生活している私からするとあくまで言葉が全てであり、言外に豊かな感情が溢れていることは思いがけない驚きでした。かといって言葉以前の表現に頼って言わなくても分かると決め込んでいては意思疎通はうまく行きませんから、そういったところにコミュニケーションの難しさと面白さがあると言えましょう。

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村の人と会っていない時間は主にスケッチを描いたりそれをホワイトボードに張り出して意見を聞いたりしていました。こう書くと素っ気無いですがZICCAの一角でバーカウンターを設計しようと頭を抱えていたのです。設計に関連して挑戦したいと思っていたことが2つありました。まず、ZICCAに出入りしている人の意見を随時設計に取り入れること。スタディ途中のスケッチや写真をホワイトボードに貼って前を通りがかった人の言葉を拾おうと考えました。ホワイトボードの前で立ち止まってくれた人に意見を聞こうという作戦です。この時も考えていたコミュニケーションはあくまで言葉をもらうことでした。というのも、言葉に表れないコミュニケーションにどうしたら耳を傾けられるのか、その時の私には全く見当がつかなかったからですが、それによって周辺化されてしまった人がいたことが今でも悔やまれます。振り返れば話の聞き方も未熟で意見をもらってもそれをどう活かせばいいのやらと途方に暮れることもしばしばでした。大家さんにきちんと話を聞けなかったことも心残りです。もうひとつの挑戦はリモートでつないで設計を進めることでした。東京にいる友人に協力してもらって毎日zoomで話しながらアイデアをやり取りしようと考えました。葛尾村では東京のようにすぐには模型の材料や道具が手に入りませんし、東京にいては葛尾村の空気感はなかなかわかりません。そこで東京と葛尾村の双方で設計を進めれば両方のいいとこ取りができるのではないかと思い立ちました。この方法は可能性は感じたものの意思疎通の難しさを思い知ることになりました。というのも、毎日話していてもパソコンの画面からは相手の感情がうまく汲み取れないのです。何か違和感があると思ってもそれをどう言葉に出したらいいのか分からず、数日経って溝が広がったところでようやく言い出せたなんてこともありました。

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結局、バースタンドを制作することまではたどり着きませんでした。東京に帰ってからも友人と何度かやりとりを続け、最終的にデザイン案をまとめて模型を作るのが精一杯でした。葛尾村での最後の夜、大家さんに運転免許を取って春休みにまた来ますと約束して私は村を出ました。

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葛尾村で過ごした一ヶ月間で最も時間とエネルギーも注いだことはコミュニケーションでした。それでも全く足りなかったというのが素直な感情ですが。デザインや設計は最後には形を生み出すわけですがその中核はコミュニケーションにあるのだろうと思います。いずれも人の心情や理想に形を与える行為だからです。他人の心の中を直接のぞくことができない以上、自分の感情さえも不可解な存在なのですが、私たちは感情を表現できるツールに頼ってコミュニケーションを重ねるほかありません。そして私たちが扱う感情表現ツールのひとつに言葉やデザインされた形があります。これらは人の心の居場所を伝えてくれる便利な地図ではありますが、心そのものではありません。表面に現れ出る言葉や物の形から感情の深層を汲み取ろうとすることがコミュニケーションの真髄であるのなら、私たちは互いに地図を交換し合いながら自分の心に相手がたどり着けるように道案内してあげなければなりません。ですが時として、葛尾村で暗中模索していた私のように、相手の心が今ひとつ掴めなかったり踏み込んで質問できなかったりすると私たちはつい心の居場所ではなく地図の表記法やスタイリッシュな見た目に考えを逃げ込ませてしまいます。内側のこころが見えない不安から外側のかたちを整えることに躍起になってしまうのです。そうしているとZICCAの片隅でスケッチブックを前に考え込むことになってしまいます。私はそれに対して、現時点では時間をかけること以外の解決策を持ち合わせてはいません。ゆっくりじっくりと、自分のこころを言葉やかたちに目一杯こめて、相手の心には精一杯耳を澄まして。こうしたコミュニケーションを続けていれば、ある時ふと相手の心がわが身の腑に落ちるときが訪れるかもしれません。その時になって初めて、こころの輪郭にぴったりのかたちを生まれるのだろうと信じています。葛尾村のISOURO生活は時間がゆっくり進みます。東京では矢継ぎ早に畳みかけないといけない話も村では畑仕事をしながら聞かせてもらえるかも知れません。

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それでは、今度は葛尾村でたくさんおしゃべりをしながら東京よりもゆっくりな春の訪れを待つことにいたしましょう。

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