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シベリア

 2021年3月11日、僕はこの日を福島県内で迎えた。午後2時46分にサイレンが村中に響き、黙祷。
 僕らの滞在場所は村外れの一軒家だった。村の中心から車で10分、街灯のないカーブばかりの県道を登る。僕らは毎夜夕食後にその家に向かい、毎日決まって寒さに震えた。福島の3月はまだ冬を抜けていない。夜は特に空気が冷え、氷点下まで下がる日もある。加えてその家の電源は20Aに制限され、満足に暖房を使うこともできなかった。誰かがその家を「シベリア」と呼び、以降すっかりその呼び名が定着した。言葉の不穏さに反して、僕らのシベリア流刑は毎晩愉快だった。
 ある晩はハイエースバンの荷台に薪を積んでシベリアに向かった。寒空の下、倉庫からソファーを引っ張り出し家の前の庭で焚き火をした。日本酒とビールと、おつまみは車の形をした柿の種。台所から探してきたカップは形も大きさもばらばらだった。日本酒を暖めようと火のそばに瓶を立ててみた。注ぎ口は触れないほど熱くなったが酒の入った瓶の下半分は冷たいままで、湯呑みに注ぐと少しぬるくなっていた。何も入っていない火鉢に炭を移すと火はすぐに勢いを失い炭もすぐに冷えてしまった。何度やっても同じことが起こるのが妙におかしくてみんなで暗い火鉢の中をのぞきこんではさんざん笑った。空の火鉢は結局ただの火消し鉢だった。燃やし尽くして体が冷え始めると片付けも早々にみんなで家の中に飛び込んだ。玄関先で見上げた夜空は快晴で、あまりの星の多さに吸い込まれるような気分になった。北斗七星の7つの星がすべてはっきり見えた。そのままコートも脱がずに掘りごたつに滑り込み、焚き火臭い体を寄せ合った。「お米を炊こう」。深夜1時には似つかわしくない号令がかけられ、ジャンケンで負けた1人が米研ぎの任を仰せつかった。勝った僕らは米を研ぐ冷水の冷たさを想像してただ黙ってこたつの奥に手を差し込んだ。それからはこたつから出ないとならない用があるとじゃんけん大会が開催されるのが恒例になった。米が炊けるのを待つ間トランプが配られ、深夜の大富豪大会が始まった。七渡し、八切り、十捨て、Jバック、スペ3返し、2とジョーカー上がり禁止、縛り、3枚以上で階段、4枚以上で革命。2回目のゲーム以降は都落ちと順位に応じたカード交換を追加。シベリア公式ルールも定まった。順位に報酬をつけられるようにとなぜだか他地域の地域通貨が配られたが、その出来栄えをしばし楽しんだ後はみんなポケットにしまってしまったので地域通貨が場に出されることは二度となかった。炊き上がったお米はおにぎりにして具はその場にあったマジックソルトとマヨネーズと醤油でやりくりすることにした。深夜2時のマヨネーズは口の奥にからまってやけに飲み込みづらかった。僕がジャンケンに負けて食器をシンクに持って行ったと思うのだが、それからいつ寝たのか全くもって記憶にない。
 ある晩はみんな酔っていた。シベリアに着くと酒とつまみとストーブを抱えてこたつに直行した。ひとしきり話してお取り寄せのチーズケーキに舌鼓を打った後はその日もやっぱり大富豪だった。1人はしょっちゅうカードを間違えて出し、手札をみんなに公開していた。1人はビールを一口飲んで「苦い」と顔をしかめていた。1人は机に突っ伏して置いてあったクリームチーズにおでこの跡をつけ、時々起き上がっては「俺の番?いま革命中?」と必ず聞いた。僕は僕でいつまでカードを出さないでいられるかということに謎のこだわりを見せ、全く混ざっていないカードで革命を連発した。そんなわけでゲームは全く進まないまま夜だけが更けていった。3時半を過ぎて、このままでは全員で永久凍土になってしまうと、なんとか起き上がりこたつから這い出した。1人がゲームを途中で抜けてすでに布団に入っていたことにその時になってようやく気がついた。こたつの外で寒さに触れると眠気が覚め、案外冷静に着替えて歯まで磨いた。それでもやっぱり寒さにくじけてこたつに戻るとみんなもまた戻ってきていて、そのことでまたひとしきり笑った。
 そのほかの日は震えながら布団に入り、布団の中でも震え続け、震え疲れて眠りに落ちた。
 朝起きてシベリアを出ると昨夜は何も見えなかった村の中心に続く道沿いに除染土のフレコンバックが積み上げられていることに気づく。この場所は原発からほど近く、シベリアより先は今でも帰宅困難地域なのだ。居住圏の境界。そういう意味でもシベリアはシベリアだった。

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