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ケンチクオタクの建築概論•前編

 「建築とはなんだろう」
 この1年、何をするにせよこのことが頭の片隅にあった。ちょうど1年前の3月、大学に落ちて、知り合いに相談に行った。そこで何気なく言われた一言に冷水を浴びせられた気がした。「建築で何がやりたいの?」自分は何がやりたいのだろう。言葉が出なかった。
 それまで建築が大好きだと自認していた。いつも建築のことを考えているつもりだった。でも実際は、お題目のようにケンチク、ケンチクと唱えているだけだったようだ。そもそも、いつから建築に惹かれているのだろう。時間を遡って話し始めることにしよう。

ケンチク少年誕生!

 建物や建築家の話がよく食卓の話題に上がる家庭だった。父は小さな設計事務所を経営していて、母は建築デザインのギャラリーに勤めている。当然のように一家共通の話題は建築に関連したことが多かった。クマさんといえば動物の熊よりも隈研吾さんであり、シーラカンスといえばうちでは設計事務所のことを指した。
 私が5歳の時、父が自宅を設計した。外壁の色は何がいいかと父に聞かれ、クロ!と答えたことをよく覚えている(そのおかげで黒い外観の家になったが、家族の人数分のトイレが欲しいというなんとも子供らしからぬ希望は却下された)。工事中の家を両親に連れられて訪れたことがある。まだ下地のベニヤ板が張られたばかりのこれから居間になる空間でかんな屑を拾っては「かつおぶしだ!」とはしゃいでいたが、その時嗅いだおがくずの匂いがその後も鮮烈な記憶として残った。今でも工事中の建物の前を通り過ぎる時など真新しい木材の匂いを嗅ぐと、あの時のベニヤ張りの居間を思い出す。保育園で引っ越したばかりの我が家の絵を描いていたこともあった。今にして思えばこの頃からケンチク少年の片鱗を見せていたのかもしれない。
 小学校に上がり、昆虫と恐竜にはまった。図鑑を買ってもらい、友達と虫捕りに出かけ、自由帳に恐竜の絵を描いた。一方で、周りの大人たちの会話を聞いていてミケランジェロやガウディやコルビジェといった言葉を覚えた。当時の私にとって建築界の巨人の名前はコーカサスオオカブトやスピノサウルスとそれほど違いがなかった。まだ表面に姿を現さずとも心の奥ではケンチク少年の芽が育っていた。小学校の卒業文集で将来の夢を書くことになった。プロスポーツ選手になれるとは到底思えなかったので一番身近な職業を書いた。それが建築士だった。本心ではなかったが全くの嘘のようにも思えなかった。
 中1の夏休み、ローマに家族旅行に行った。何ヶ月も前からローマ帝国の歴史やルネサンス美術の解説書を買いこんで読み込み、人生で初めて予習をした(それっきり予習をすることはほとんどなくなったけど)。両親に挟まれて石畳で坂道の多いローマの街を歩き回り、パンテオンからサンピエトロ寺院まで何世紀もかけて築き上げられた建築の至宝に日々目を奪われた。目当ての教会への道すがら、石造りのアパルトマンに挟まれた石畳の細い路地に入り込むことがあった。道も建物も同じ石材で作られていて、街に建物がニョキニョキ生えてるようだと思った。その時は意識しなかったが、ときおり思い出したようにこのイメージが頭に浮かぶことがある。今でも心の深いところに結び付けられているようだ。

 日本に帰ってきて今まで隠れていた私のケンチク熱が高まりを見せ始めた。建築インテリア雑誌で特集されていたル・コルビジェの作品が日本にあると知り西洋美術館に行った。本屋で建築関連本の棚をチェックして知らない建築家を見つけると立ち読みして名前を覚えた。ミース・ファン・デル・ローエは3回ほど口ずさんで覚えられたが、コルビジェの本名がシャルル=エドゥアール・ジャンヌレであることを覚えるのには苦労した。
 忘れもしない中2のある秋の夕暮れ、帰宅途中に自転車をこぎながら建築に関連した仕事に就こうと決めた。具体的なイメージは何一つなかったが、その頃の私のケンチク熱のそれがひとつの到達点だった。ここに一人のケンチク少年が誕生した。

ケンチク少年、家をいじる

 私が小学生の頃からお世話になっている先生がいる。中学受験のために勉強を見てもらっていたのが中高生になってからも週に一度会って定期テストの対策をしたりとりとめのない話に付き合ってもらったりしていた。鼻筋の通った顔をしていた彼が旅先でスリランカ人に間違われた話が私のお気に入りで、ことあるごとにねだって聞かせてもらった。学校で話しても仕方ないと思って(思い込んで)いたので、私のケンチク熱のはけ口は専らこの先生であった。
 私が高校生になった頃、先生との間で自然に囲まれて勉強できる家を持とうという話が持ち上がった。都会の子どもに自然に触れてリフレッシュしてもらおうというわけだ。彼の教育への思いを理解するのは当時の私には難しかったが、建物が関わる話になりそうだという直感のままに飛びついた。しばらくの間は手頃な古民家を探しつつ、改修のアイデアをドローイングや文章に書き溜めた。今見れば笑ってしまうほど拙いものばかりでも、頭の中の考えを形にできることが何より楽しく没頭した。
 奥多摩に手を加えられる古民家が見つかると週末ごとに通って泊まり込んだ。わざわざ放課後に立ち寄ってから家に帰る日もあった。長期休暇になると小・中学生と何日も古民家で生活し、田舎と古民家の暮らしを思う存分楽しんだ。郊外の住宅地に育った私にとって、すぐそばに清流と森と山があり、昼間は縁側に寝そべれて日が落ちれば囲炉裏で暖をとれる古民家の環境はつねに驚きに次ぐ驚きだった。裏山にはよくシカの糞が落ちていた。夜になるとイノシシが家の裏まで下りてきて畑が食い荒らされた。ニホンザルの群れがすぐそばで柿やクワの実を食べているところに出くわすこともあった。獣道が本当に道になっていることも、サルの鳴き声が鳥に少し似ていることもこの時初めて知った。
 初めて訪れた時、古民家は湿気がひどかった。いたるところにカビが生え、畳はすっかりふやけていた。前の住人が亡くなってから数年しか経っていないこと知って、建物は使われ続けないといけないとつくづく思った。早速、腐っていた棚を取り外し、照明を付け替え、ホームセンターで合板を買ってきて新たに収納を作った。大工さんに来てもらって建具を付け替え、フローリングを張り、雨戸を設置してもらった。私もオイル塗装を少し手伝ったがおそらく邪魔でしかなかっただろう。
 見ていると四方八方が次々新しくなっていくというのはなかなか不思議な気分だ。薄汚れた床や建具が気づけばすっかり真新しくなっている。この時、建築は行為なのではないかと思った。慌ただしく大工さんが出入りして、みるみるうちに建物が様変わりしていく情景には「建築している」という表現がしっくりきた。建物の変化そのものを目の当たりにしているような感覚だった。でも、建築が行為だと感じられるのは何も改修工事中だけではないだろう。年間を通して古民家に通い続けると、季節の変化に合わせて古民家の暮らしも変化させなければいけないことに気づく。夏は障子もガラス戸も開け放して風を入れ、縁側にはすだれを垂らして日陰を作る。冬には各部屋の障子を閉め切って熱が逃げないようにする。一年の間に建物がまるっきり様変わりするのだ。古民家で生活することでいつも建築していたとも言える。
 古民家に通った高校生の一時期は建築という言葉で語るほど大げさなものではないのかもしれない。単に古民家で寝起きし川や裏山で遊んでいただけだ。けれども、それは私にとってはまぎれもなく”ケンチク”体験だった。

ケンチクオタク、登壇する

 私の通っていた高校では文化祭は完全に生徒が企画し運営する。毎年、高二を中心に委員が1年も前から企画を練る。その中に講演会企画がある。例年は学校にゆかりのある人を招いて講演してもらうのだが、私たちの代では生徒も登壇することになった。
 その企画を考えてくれるよう委員長からお願いされたのは文化祭のひと月ほど前だっただろうか。面白そうなことに目がない私はすぐに引き受けた。そこからの1ヶ月は大変だった。放課後、友達に付き合ってもらって教室に残って案をまとめた。生徒には熱中していることを提案する形でプレゼンしてもらうことにした。言い出しっぺが始末をつけろというわけで私も登壇することになった。テーマはもちろん建築だ。
 実際にある建物を紹介しようかとも思ったが、考えを直接的に表現できるように好きな空間をテーマに、2 ・3のアイデアを模型とイラストで発表することにした。題して「内と外の曖昧な境界」である。どうも昔から緩やかに空間が繋がることに凝っている。我が家には中庭がある。そこに落ちた日差しが壁を照らし室内にまで差し込む。寝そべっていると中庭と床に同じ陰が伸び、中庭に降る雨の波紋が天井に映る。そんなところから思いを膨らませたのかもしれない。古民家でも内と外の風通しの良さが心地よかった。プレゼンでは、芝の生えた縁側や腰掛け付きの外壁など境界を少しずらす空間装置を提案した。漠然とした心地よさを形にしてみた格好であった。そこでは心地よいという感覚そのものには踏み込まなかった。というか、踏み込めなかった。感覚を分析できるまでにはその時の私は成長していなかった。まだ、好きであることに無頓着な子供であった。それでも私の発表は先生方に好評であったようだ。面白いと感じることには価値があると思えたのはこの時であった。

ケンチクオタクの19年間

 ここまで建築に関係があると思われる思い出をとりとめもなく並べてきた。どうやら、建築を好きだとは思っても、建築がどのように好きかと考えることはあまりなかったようである。好きなものは好きでいいではないかという開き直りさえ感じる。どうりで1年前に質問されて愕然としたわけだ。そんな状態で始まって、「建築とはなんだろう」に対する答えを、私はこの1年間で出せたのだろうか。

 …後編に続く。



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