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彫刻家、哲学者、サラリーマン

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  • アリストテレスの幸福論

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【コラム】日本人は「効率化」を悪だと考えている?

こんなことを書くと、多くの「日本人」を敵に回すことになるかもしれないい。なにせ、私は日本語で文章を書いているのだから、読者の大多数は日本人のはずである。今から書こうとしているのは、読者の殆どを不快に気持ちにさせるようなコラムなのである。(なので不愉快な気持ちになりたくない人は、ここで引き返してもらいたい・・。) さて、ビジネス書などを読むと「業務の効率化」というのはマネジメントに置ける最も重要な要素=イノベーションの一つであるなどということが書かれている。しかし、日本社会に

    • アリストテレス哲学とPDCAサイクルとOODAループを総合した「APO戦略」(仮名)を考える。その3

      さて、PDCAやOODAループが「軍事的勝利」や「企業利益最大化」の為に使われてきたし、今もそうであるという事と、医療・福祉・介護で働く人々の倫理観とが矛盾するものであるものなのかどうかを検討してみよう。 経営者はどうしても「会社の利益最大化」ということを目標にしがちである。一方で福祉職従事者は「患者さんの利益最大化」というようなことを行動原理として持っている。しかし、よく考えればわかるが「患者さんの利益を最大化」するためには「会社が存続していなくてはならない」し、「会社の

      • アリストテレス哲学とPDCAサイクルとOODAループを総合した「APO戦略」(仮名)を考える。その2

        所で、私の活動フィールドは「介護福祉」の現場である。介護福祉という分野は、厚生労働省の統制によって、すでにPDCAサイクルが制度としてガッチリ組み込まれている。ケアマネが事前調査をして会議をし「居宅支援計画」とか「リハビリテーション計画」作成する(P)そのプランを施設職員などが実施する(D) 三か月ごとにサービス担当者会議を開いて評価する(C) 問題点などを見直しし、新たなプランを作成する(A) 福祉現場の仕事は、一応このようなサイクルに従って行われることになっているのである

        • アリストテレス哲学とPDCAサイクルとOODAループを総合した「APO戦略」(仮名)を考える。

          APO戦略とは私の造語である。見た通りだが、アリストテレス哲学(倫理学・政治学)PDCAサイクル、OODAループの頭文字を取った。 これは、たまたま、私がこの三つの実践思想を知ったので、知ったからには使えるようにする必要が生まれたということがある。 PDACサイクルとOODAループを併用するべきという意見はネット上でも散見される。ではアリストテレス哲学がどうかかわってくるのか?ということだが、アリストテレスは、その実践論の究極目標として「幸福」ということを上げた。要はPD

        【コラム】日本人は「効率化」を悪だと考えている?

        • アリストテレス哲学とPDCAサイクルとOODAループを総合した「APO戦略」(仮名)を考える。その3

        • アリストテレス哲学とPDCAサイクルとOODAループを総合した「APO戦略」(仮名)を考える。その2

        • アリストテレス哲学とPDCAサイクルとOODAループを総合した「APO戦略」(仮名)を考える。

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          『ゲームは楽しいのに、なぜ現実は糞つまらないのか』~ゲームの現象学~その3

          ハイデガーは『存在と時間』の中で、いわば私が高校生の頃「余りにもゲームに没頭してしまい、自分が誰だか忘れてしまった」と言う経験と良く似た構造が現実社会の人間にも存在すると指摘している。この現象をハイデガーは「頽落」(Verfallen)と名付けた。 どう言うことかと言うと、例えば「学生」と言う身分は一種の虚構であり、そういった存在が実在するわけではないが、 当人が学生であることに熱中する余り、その在り方が自己の本性であるかのように信じられてしまっているような状態である。 例え

          『ゲームは楽しいのに、なぜ現実は糞つまらないのか』~ゲームの現象学~その3

          『ゲームは楽しいのに、なぜ現実は糞つまらないのか』 ~ゲームの現象学~その2

          「ゲームは楽しいのに何故現実はつまらないのか」その疑問にある程度答えていた先人にM・ハイデガーと言う人が居る。彼の主著に『存在と時間』と言う有名な本があるのだが、私は若い頃この本が全く理解できなかった。難解で有名な哲学書の代表のような書物なのだが、ハイデガーがこの本を書いた37歳の時に、その内容が一気に理解できるように成った。この本は「現象学」と言う方法を使った「存在論」の著作なのだが、現象学と言うのは、主観と客観の「あいだ」に成立するような学問である。その意味で、書いた人の

          『ゲームは楽しいのに、なぜ現実は糞つまらないのか』 ~ゲームの現象学~その2

          『ゲームは楽しいのに、なぜ現実は糞つまらないのか』~ゲームの現象学~その1

          コンピューターゲームをしていると、時間があっという間に過ぎていく。5時間、6時間など当たり前、家族が文句を言わなければ1日2日、眠らずにゲームが出来る、と言うような人はいまや珍しくも無いかもしれない。かく言う著者も高校生の頃まではかなりのゲーマーで、余りにもゲームにのめり込み過ぎて、自分が誰だから分からなくなってしまう「急性認知症」のような症状が出るまでゲームをしていた事があった。しかし、余りにもゲームに親和性が高い自分を鑑みて、大学受験を契機にゲームから距離を取るようになっ

          『ゲームは楽しいのに、なぜ現実は糞つまらないのか』~ゲームの現象学~その1