『ゲームは楽しいのに、なぜ現実は糞つまらないのか』~ゲームの現象学~その1

コンピューターゲームをしていると、時間があっという間に過ぎていく。5時間、6時間など当たり前、家族が文句を言わなければ1日2日、眠らずにゲームが出来る、と言うような人はいまや珍しくも無いかもしれない。かく言う著者も高校生の頃まではかなりのゲーマーで、余りにもゲームにのめり込み過ぎて、自分が誰だから分からなくなってしまう「急性認知症」のような症状が出るまでゲームをしていた事があった。しかし、余りにもゲームに親和性が高い自分を鑑みて、大学受験を契機にゲームから距離を取るようになった。それ以降は大好きなFFやドラクエ、三國志、スト2も女神転生も「嗜む程度」に遊ぶようになった。そこには根本的な疑問「何故、ゲームは楽しいのに現実は糞つまらないのか」と言うことがあったのだ。私は当時コンピューターに興味があったのでコンピューター関係の専門学校に行こうかと言う思いもあったが、上記の疑問への答えは「もしかして政治にあるのではないか」と直観し、法学部政治学科に入学したのだった。しかし、法学部に入っても、民法や刑法の条文や判例の解釈が主で、全く退屈な時間が過ぎていった。私は殆ど大学の授業に出席せず、図書館の書庫に籠り哲学書を読み耽る毎日が続いた。カント、ヘーゲル、ハイデガー、ニーチェ、仏典やギリシア哲学、社会学や法哲学、経済学、生物学、天文学や現代宇宙論など、興味のある分野の授業は関係がなさそうでも出席した。しかし結局、「ゲームは楽しいのに何故、現実は詰まらないのか」の謎は解明出来ないまま卒業を迎えた。この問いにある程度「答えられるかもしれない」と思い始めるようになったのは、今から3~4年ほど前、30代後半になってからだと思う。



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