『ゲームは楽しいのに、なぜ現実は糞つまらないのか』 ~ゲームの現象学~その2

「ゲームは楽しいのに何故現実はつまらないのか」その疑問にある程度答えていた先人にM・ハイデガーと言う人が居る。彼の主著に『存在と時間』と言う有名な本があるのだが、私は若い頃この本が全く理解できなかった。難解で有名な哲学書の代表のような書物なのだが、ハイデガーがこの本を書いた37歳の時に、その内容が一気に理解できるように成った。この本は「現象学」と言う方法を使った「存在論」の著作なのだが、現象学と言うのは、主観と客観の「あいだ」に成立するような学問である。その意味で、書いた人の年齢や心境が近いと言うことが、理解が成立する為の「条件の一つ」となっていることはあり得ることかも知れない。それは他の科学分野の論文には余り有り得ないことかもしれないが。

さて、私はハイデガーの『存在と時間』を読んで、それを深く理解することで、急に人生が楽しくなったと言うような経験をした。また、『存在と時間』は「現象学」の方法を用いて記述が為されており、これを読むために現象学の勉強もする必要があった。現象学とは、ハイデガーの師匠であるE・フッサールが創設した学問である。私は現象学を学び始めると同時に「この方法を使えば、『ゲームは楽しいのに何故現実はつまらないのか』と言う例の問いに答えることも出来るのではないか?」と思い始めるようになった。


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