「排除ベンチ」で思い出す、子供のころ見た悲しい風景とは
最近、「排除ベンチ」が、問題として取り上げられるようになってきていますが。
そのことに関して、僕が子供のころに見た、ある風景が重なって思い出されるのです。
その風景とは・・・。
それは、いまから数十年前の、初夏のことでした。
僕が、町まで買い物に行って、ある店にいるときのことです。
その店の中から、ふと反対側の道に目をやると。
その道の先から、ゆっくりと歩いてくる男の姿が目に入ったのです。
その男は、初夏の汗ばむような気候だというのに。
長袖の黒っぽい服を着て、同じような色の長ズボン姿で、背中にはうす汚れたリュックのようなものを背負っていました。
男の髪の毛は、ボサボサに伸びていて、髭も同じように伸びていました。
男は、一見して浮浪者風だったのです。
その頃は、まだホームレスとは呼ばすに浮浪者と呼んでいて、町から町へと流れ歩くような人が存在していたのでした。
現在では、そのような人を見かけることはなくなりましたが。
当時は、田舎町でも、時々そのような人を見かけることがあったのです。
男は、僕のいる向かい側の店の前までやってくると、そこで立ち止まりました。
なぜかと言うと・・・。
その店の前には、大きな水槽が置いてありました。
そしてその横には、水を通す管が立っていて、てっぺんの横向きの官からは、水槽の中へと生きよいよく水が流れ出していたのです。
きっとその男は、暑さで喉が渇いていたのでしょう。
その水が勢いよく流れ落ちている管へ、男は口を持っていきました。
そして、水を飲もうとした瞬間・・・。
流れ出る水は、ピタッと止まってしまったのでした・・・。
どうやら、店の中に止水栓があって、店の者が、男が水を飲もうとしているので水を止めてしまったのでしょう。
男は、不思議そうに水の出口をしばらく眺めました・・・。
しかし、きっと諦めたのでしょう。
男が、再び歩き出そうとしました。
すると、また水が出始めたのです・・・。
水が出たのを見て、男が再び水に口を近づけようとすると、店の中の人はまた水を止めてしまったのです・・・。
見ていると、店の中の人たちは男を見て笑っているようでした・・・。
水が止まったので、男は、がっくりと肩を落として、しばらく水の出口を眺めていましたが・・・。
男は、仕方なく重い足を引きずるようにしながら、その場を立ち去っていったのです・・・。
その、一部始終を見ていた僕は。
その店の人は、なんて意地の悪いことをするのだろうかと思いました。
浮浪者だからと言って、笑いものにするようなことはせずに水ぐらい飲ませてあげれば良いのにと。
何とも、言い知れない悲しい気持ちになったのでした・・・。
考えてみると、それはホームレスが横になれないようにと作られた、意地悪な「排除ベンチ」を見た時と同じ感情であることに気づきました。
ホームレスだって、何かしらの訳があったり、本人にも気づかない病気があったりするかもしれません。
そのような困っている人たちに対して、排除するようなベンチを公園に置くような優しくない行政で良いのでしょうか・・・。
たとえ、住民からそのように一定の人々を排除するような要望や要請があたとしても。
行政は、特定の人々を不当に排除するような事には加担しません。
と言う、姿勢を示すのが真っ当な本来の行政の姿ではないかと思うのです。
「排除ベンチ」色々↓。
たぶん、僕が「排除ベンチ」を見て、その中に存在する弱者に対する悪意に対して悲しい気持ちになるよに。
「排除ベンチ」に対して、同じような気持ちを抱く人も、大勢いるのではないかと考えています。
最近になって、やっと、その人たちのオカシイヨとの声が届き始めているのではないかと思っています。
そして、そのような声がもっともっと大きくなって届いて、この社会が、誰も排除することなく優しい社会になってほしいなと思っているのです・・・。
やっぱりベンチは、意地悪な細工のされていない、誰でもがゆっくりと休める普通のベンチが良いですね。
アートとメルヘンと創作の森画廊のノスタルジック絵画です。
額縁、マット紙、印刷用紙など、この画に最良と思われる品を選んでいます
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さち様 きいろはしあわせ色~四月のうた~
タイトル画 Canva 使用画像 Canvaより 写真ACより