2024/4/17 体力がもたない

借りた本を読み終えるために図書館に行った。「借りた本を図書館で読むのはなんたる皮肉なことか」と思いながらも、読みきれなさそうだったから仕方がない。

正直なところ「読み終える」は正しくない。既に一度読み通しているからだ。読むは読むでも、「読んで理解する」ことがしたかった。

結果から言うと、時間的にも体力的にも無理だった。

時間の問題で言うと、思ったよりも内容理解が浅く、全然進まなかった。それに閉館時間が迫っていた。

体力の問題は文字通りで、理解する体力がなかった。読んでも読んでも左から右に抜けていく(右開きの本だから)。休憩をはさみながら4時間ほどで力尽きた。

正直な所、理解するために使える時間は家で読んでいてもこれくらいが限界で「あー、やっぱりこのくらいしか保たないのか」と納得した部分もある。

休憩時間に、図書館内をブラブラして、山口周著『独学の技法』を立ち読みした。

情報を体系的にまとめて、適切な時に引き出せるようにする

こんなことが書いてあった気がする。
(↑ではダメで、具体例をしっかり押さえないと使えない知識のままと書いてあった。とても身にしみる…)

今日、図書館で読んだ本は以前読んだ本と系統が似ている本だったので、大枠で書いていることは変わらない。

しかし、具体例が違う。これまた面倒なことに具体例で出てくる言葉も似ているのでややこしい。

だが、大枠は同じなのだから、その大枠にいたった根拠を押さえるステップにきたんだと思った。そうすることで、具体例が増えて大枠の信憑性が増す。

逆に言えば、具体例は同じでも結論が異なれば解釈が違うことも分かる。

大枠の捉え方としては、一冊の本の具体と抽象をしっかり押さえた上で、他書を取り込んでいく方がいいと思う。そうすれば、「あ、ここが違う。ここは同じ」と分かりやすい。

網羅的にやるのであれば、複数の書を同時並行で進めていくのがベストであると思う。しかし、膨大に時間がかかるのと、全体像が見えにくくなることが考えられる。また、目的を見失いそうになったり、達成感が低くなったりもして挫折しやすいように思う。

冒頭の話に戻ると、「読んで理解する」のは「読む」よりもはるかに大変だ。

つい先日も似たようなことを書いた。

タイトルが『疲れた日の読書論』とあるが、ありふれた読書論に落ち着いた。

結論は「大枠を捉えることだけ読め」「じっくり読むべき本なのか品定めするように読む」になった。

今日の感想を踏まえれば、以前書いた「大枠を抑える」だけでも「読む」よりもハードルが高い。

理解したい本ならなおさらで、読んだ後に大枠をまとめなければならない。二重苦だ。読んだらまとめる未来があることを誰がしたいのだろうか?

よっぽど目的意識を持って本を読んでいない人にはハードルが高い。

これを解決するのは良くも悪くも習慣だと思う。

「そうせざるを得ない気持ちにさせること」が一番の近道で、やらなければモヤモヤする。そういう状態にしてしまえば、ある程度知識を体系化させる土台は出来つつある。

あとは、まとめ方を工夫して、他の本とのリンクを考えればいい。

そんな習慣でもあり、二重苦から逃れるためには、そのサイクルに入らないためには、読むこと(習慣)を満たしつつ、まとめない本(二重苦)を読めばいい。

引用した記事にも書いたが、私にとってそれは小説である。


(ちなみに今日も疲れている日に当たる。なので、大枠を捉える読書すらもしたくない。するなら間違いなく、娯楽の小説を読むことだ。)



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