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語る内容

森博嗣の『静かに生きて考える』を読んだ。

考えたいことがたくさんあったので、分けて書く。

自分が影響を受けたものや、自分が成し遂げた仕事などは、いずれも過去の事柄である。つまり「今」の状況ではない、という点に僕は違和感を抱く。だから、過去を語る人たちには、「で、今は何をしているの?」と尋ねたくなってしまう。

p70

確かに、過去の栄光はよく聞くが、今に対して話す人は少ないように思う。むしろ過去の素晴らしい経歴で今を覆い隠そうとすら、しているように感じる。

それに対して、研究者は今悩んでいることについて話すという。むしろ過去の栄光は語らないと。

大学生時代を振り返れば、確かに教授たちは今悩んでいることばかりを話していたように思う。

研究の背景として昔やっていた研究に触れることはあったが、その経歴を見せびらかすようなことはしていない。

むしろ、隠すまではいかないが、話したがらないように見えた。

「実は…昔こういうことして、その時の経験で」とか「昔はね、そんなこともやってたよ」とか。

どれくらい自分が困っているかが、その人の能力なのである。誰にも理由はわからない。今のところ解決策がない。そういう状況こそが、人間が能力を投じる対象であって、 それこそが、毎日の楽しみでもある。

p70

困っている方がいい。なんとも不思議に感じる。

研究者としては、大きな問題、多数の問題を抱える方が優秀だと言う。それだけ世の中に疑問を持っている。まだ解決していない問題があると。

日常にもう問題はなく、豊かに暮らせると思う人は研究者には向かない、と解釈できる。

私も含め、世の中の多くの人は困らなければ困らないほどいいと言うのだから、研究者には向かないのだろう。

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