見出し画像

ハマータウンの八つぁん熊さん

【ワイルドサイドをほっつき歩け】ブレイディみかこ著

もし、無茶を承知でわがままを言わせてもらえたら、世界中の街にみかこさんを存在させたい。

そして、その社会構造を見抜くするどい考察と、人間に対する愛ある観察眼、いつでも弱い側から見てやろうという心意気と、何にでもちょっとユーモアを見出してしまうビタースィートな感受性を持ってして、そこに生きる市井の人たちを描いてほしい。

そうすれば、どんなニュースやSNSから知る情報よりも、その人たちが存在感をもった愛おしい、愛すべき人物として浮き上がってくるし、今、その国を覆っている空気感が、確かな手触りを持って伝わってくると思うから。

書店でこの本を手にとったのは著者に好感をもっていたこともあるけれど、ルー・リードの『ワイルドサイドを歩け』をもじったタイトルに笑ってしまったのと、「はじめに」の【おっさんだって生きている】という文章に心を鷲づかみにされたからだった。

【セクハラもパワハラもイギリスのEU離脱も、トランプ大統領が誕生したのもおっさんたちのせい、なにかと悪者にされがちなベビーブーマー世代のおっさんたち。とはいえおっさんたちも一枚岩ではない、労働者階級のおっさんたちもミクロに見ていけばいろんなタイプがいて、大雑把に一つには括れないことを私は知っている。なぜ知っているかといえば、周囲にごろごろいるからである。】というような文章を読んだだけで、おっさんたちへの興味がグッと湧きあがってしまった。

そう、この本はイギリスの労働者階級のおっさんたちのリアルライフを落語の小話のごとく、愛情とペーソスと笑いをもって描きながらも、彼らの言動からイギリスの今が浮かび上がってくる、珠玉の社会派長屋噺なのである。

私が20代にフェミニズムを知った頃、シンプルに男性に対してたいそう怒っていた。

みかこさん曰く【おっさんが世界のサタン】になったかのように。

しかし時を経てみると、本当に変えるべきはシステムであって、そこで翻弄されている人ではないということが、身に沁みて分かってきた。

踏まれた足は痛い。けれど人間を分断して、ずっと怒っていたら、足より心が病むかもしれない。

足も心も大切にする道を、違いではなく、同じところを見つけながら探りたい。

そんな気持ちの変遷を経た40代、この本の主人公であるハマータウンのおっさんたちの気持ちが分かる自分がいる。

『ゆりかごから墓場まで』の手厚い社会福祉制度を受けたおっさん世代たちは、新自由主義が世界を席巻している今も、NHS(国民保険サービス)と労働組合の力を信じている。

NHSというのは日本で言うところの、国民健康保険制度である。

イギリスでは保守党が政権を取ってから、国の借金を理由に社会保障に充てる財源を大幅に削っているため、NHSがサッチャー政権時代から、どんどんひどい状態になってらしい。

癌の疑いがあり、体調がすぐれなくても、保険内診療を受けようと思うと医師の診療に9週間待ちだそうで、著者は【地方の街の地べたレベルでは、もはやNHSは機能していない。】という。

NHSのみならず、公共施設、一番多くの人が利用しそうな図書館ですら、みかこがさんが住む地方都市では公民館の片隅、子供の遊戯室と同じ小さな一角に拡小されている。

『国の借金のために』という文句も、新自由主義的言説を語る政治家たちも、日本の今と重なるではないか。

『おうち』というガラパゴスによく籠っている私は、正直なぜイギリスがEUを離脱したのか、さっぱり分からなかったけど、この本を読むとジョンソン首相とトランプ元大統領の出現と行動が、相似形のように重なって、パズルのピースがハマるような気持ちがした。

新自由主義の台頭と、持たざる者からより貧しくなる仕組み。
その人たちの逼迫した心理を利用して力を増す右寄りの政治、移民差別。なるほどこんな風に世界は連動して変化していたのだな。

しかし、ハマータウンのおっさんたちは生粋の労働者階級アイデンティティーの持ち主なので、移民が増えてイギリス人の仕事がなくなることを危惧しているが、同時に草の根を生きる人間への共感があるレフトなので、同じ横町に住む移民の人が差別を受けていると知ると、自警団を作って見守りをする。そういうところがこの本のおっさんたちを愛おしく思わせてくれるし、イギリスの労働者階級/レフトの矜持を感じる。

かつて20代のころ社会保障制度の充実や人権に対する意識の高さから、本気で北欧移住を考えたことがある私は、おっさんたちが充実していた頃のNHSを取り戻したい気持ちが痛いほど分かる。

相互扶助の精神が無く、社会的弱者が安心して生きられない国に、どうして所属したり税金を払いたいと思えようか。老後の資金を投資で稼がないといけないと思わされている切迫感ってなんなんだろう?変じゃね?だ。

そして、老いることがリアリティーを持ち始めた今日この頃、おっさんたちが老いながら恋したり、デモしたり、再就職したり、上手くいったりいかなかったり、仲間と飲んだり、酒をやめてみたり、袖振りあったりしている様が、かっこ悪くも愛おしくて、なんだか自分と似てるなぁと思ったり。

日本は不平等さが見えにくい国で、性別がアイデンティティーになっている人と手をとり合って生きるのは、まだまだ難しく感じるけれど、イギリスのおっさんたちとは物理的距離がある上、みかこさんの愛情マジックがかかっているので、共感をもって愛おしく読めたし、身につまされた。

とにもかくにも、この長屋噺はすばらしく示唆に富む生へのラブレター。
ブレイディさんの本、もっともっと読みたいと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?