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戦争と薬物

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疲労、飢餓、恐怖、睡眠不足、これらが戦争のもっとも基本的な要素である。薬物はこれらの問題を中和する手段である。個人の戦闘行動も、集団の戦闘行動も、すべてその当時の文化規範や道徳規… もっと読む
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爆撃機のパイロットは眠くなると乳白色の錠剤を噛み始めた

1940年、イギリスによって撃墜されるドイツ機の数が増えるにつれて、ドイツ空軍はロンドンへの空爆を夜間に行なうようになった。イギリスはこれを「ブリッツ」(稲妻)と呼んだ。 ドイツ空軍の出撃は夜の10時から11時に行なわれる。3~4時間かけて爆撃機はロンドン上空に到着した。眠気を催すと、パイロットたちは「ゲーリング錠」と呼んでいた「ペルビチン」(メタンフェタミン=覚醒剤)の錠剤を噛んだ。 軍服の膝のポケットには小さなハンカチがあり、そこに乳白色の錠剤が数個貼り付けてあった。

覚醒剤が支えた電撃戦

ドイツ軍が1939年9月に行なったポーランド侵攻は、戦争における速度の重要性を証明する戦いであった。この侵攻は、工業化された戦争の新しい形態であって、電撃戦と呼ばれた 。電撃戦は速度と奇襲性を重視し、パンツァー師団(第4装甲師団)やシュトゥーカ爆撃機などのドイツが誇る技術力を発揮する機械化された攻撃、そして前例のない速さで行われる進撃で敵の意表をつくものであった。 しかし、電撃作戦の唯一の弱点は、兵士が機械ではなく人間であったことだった。つまり兵士は、定期的に休息と睡眠を必

悲しみの解毒剤「忘却の酒」

精神に作用する植物の歴史は、人びとが狩猟や漁労で生活していた時代にまで遡る。人類は無数の試行錯誤の結果、精神に作用する植物を偶然発見した。 アヘンもそういう植物のひとつだが、ケシの実を切って抽出した液は、すでに古代アッシリアやシュメールで知られており、ケシは「喜びの植物」と呼ばれていた。 このアヘンが、エジプトから古代ギリシアにもたらされた。アヘンは幻覚作用から祭事に使われたが、痛みを緩和し身体を強化する効果が発見されて、オリンピックに向けて激しい訓練を行なうアスリートや

国防総省が麻薬戦争に参戦した

冷戦時代に冷戦のために膨れ上がった軍事力は、冷戦終結後にも萎むことはなかった。 ジョージ・H・W・ブッシュ(大ブッシュ)は、1989年の大統領就任直後の演説で、アメリカが直面している国内的脅威は麻薬であると国民に訴え、国内の麻薬戦争に対して15億ドルを追加支出することと、海外からの供給削減のための費用として35億ドルを要求した。国民の過半数は、麻薬戦争を戦うためにはアメリカにある自由のうちのいくつかを放棄してもよいと答えた。こうしてかれは、アメリカの軍隊を麻薬戦争の最前線に

コーヒー嗅ぎ

コーヒーに含まれているカフェインは世界で最も安全な薬物の一つと考えられているが、戦争と無関係だったとは言いがたい。カフェインは軍隊を眠らせず、帝国や反乱軍に活力を与え、戦時中の飲み物として広がり、戦いが終わった後も人びとの生活に浸透している。 コーヒーの起源はよく分かっていないが、少なくとも9世紀に現在のエチオピア高地で発見されたとする説が有力である(「コーヒー」という名前もここの「カッファ=Kaffa」という地名に由来するという)。遊牧民であるガラ族が戦闘の際の栄養補給の

冬戦争

冬戦争とは、第二次世界大戦の勃発とほぼ同時にソビエト連邦(ソ連)がフィンランドに侵攻した戦争のことである。フィンランドは激しく抵抗し、多くの犠牲を出しながらも独立を守ったが、モスクワ講和条約によって領土の一部が割譲された。 そもそもの発端は、スターリンが将来起こりうるヒトラーとの対決を想定して、レニングラード(現サンクトペテルブルク)市の防衛を固めるために、フィンランドを攻撃して領土を拡張しようと考えたことだった。 このときスターリンは、この戦いがまさか3ヶ月半(1939

禁煙令に違反した者は鼻と唇を切り落とされて処刑された

タバコは、紀元前5000年から3000年の間にアンデス地方で初めて栽培され、その不思議な効能から、宗教行事や戦争前の儀式用、あるいは薬用として重宝された。人びとは、戦いの前には戦士の顔に、農耕の始まりには畑の土に、また性行為の前には女性の身体に紫煙を吹きかけた。 タバコは徐々にアメリカ大陸全体に広がり、ヨーロッパ人が到着するまでにはしっかりと根付いていた。コロンブスから始まって、新大陸に到着したヨーロッパ人たちはすぐにタバコが手放せなくなった。 タバコがヨーロッパ大陸に定

信仰と社会の価値観が心の中に死の恐怖の余地を残すことを許さなかった

フィリピン南部の島々に居住するイスラム教徒は、モロ族と呼ばれる。14~5世紀にマライ・ボルネオ方面から移住したマライ系のイスラム教徒と先住民が改宗したもので、社会体制や習慣に独自なものを形成し、政治的宗教的にスルタン(イスラム世界における君主号)の下に統一されていた。 フィリピンは16世紀からスペインの支配下にあったが、スペインの全土支配を阻止したのは、モロ族の頑強な抵抗だった。 その後、1898年にアメリカとスペインの間で戦争が起こり(米西戦争)、アメリカが勝利して、フ

ハイになって銃を構える子ども兵に発砲すること

西アフリカの大西洋岸に面するところに、シエラレオネ共和国という人口800万人ほどの小国がある。以前はイギリスの植民地であり、1961年に独立したあと、国内では政情不安が続いていた。 2008年に、そこでイギリスのロイヤル・アイリッシュ連隊のパトロール隊が、テロリストに拉致されるという事件が起こった。このことじたいはそんなに珍しいことではないが、司令部を驚愕させたのは、屈強なパトロール隊を拉致したのが、ウエストサイド・ボーイズと呼ばれる少年兵の部隊だったことだ。彼らの隊長は1

ベトナムでは兵士がビールを薬のように浴びた

ベトナム戦争(1965-1973)は、おそらく軍隊が毎日大量のアルコールを供給していた最後の戦争だった。ベトナムの戦場でアメリカ軍の規律に深刻な脅威を与えたのはヘロインやマリファナだったが、アルコールの問題もそれらに劣らず深刻だった。当時の国防総省の調査によると、9割弱の兵士が勤務中に飲酒しており、しかもその量も半端な量ではなかった。下士官の7割、将校の3割が、飲酒に関して何らかの問題を抱えていた。 ベトナムでは、兵士に1日1人当たり缶ビール2缶が支給されていたが、基地内の

戦闘の前にまずは一服

アルコール(酒)とタバコは、第二次世界大戦における戦時薬物としては、もっとも重要な薬物だった。タバコは、神経を鎮め、空腹を抑え、退屈を凌ぎ、負傷者を慰め、兵士の仲間意識を高め、士気を高揚させることができるからである。そして何よりもタバコは国を豊かにした。 イギリスでは、タバコは軍の必需品とされ、民間への配給は免除された。アメリカでは、タバコ産業は政府によって手厚く保護され、莫大な収益を得ていた。ルーズベルト大統領は、徴兵委員会にタバコ栽培業者の徴兵を猶予するように命じていた

アルコール依存国家

ロシアがむかしから「アルコール帝国」と呼ばれたのは、国家そのものがアルコールによる税収に強く依存していたからである。 これは、15世紀にイヴァン3世がウォッカ産業の国営化を進めたときに始まった。帝国最盛期の19世紀には、酒税がロシア国家予算の3分の1を占めており、軍事予算はもとより、贅の限りを尽くした冬宮殿の建設費もこれでまかなわれた。そのため、政府はウォッカを国民にいっそう奨励した。 こうしてロシアでは、人びとがウォッカを飲めば飲むほど、国の金庫に金が入ってくる仕組みが

ヨーロッパ戦線 銃後の乱痴気

かつて酩酊薬物がこれほど象徴的な重要性をもったことはなかった。 第二次世界大戦では、アメリカ政府は、戦地に赴く兵士の喉が渇いていることは許されないと、醸造業界に対し生産量の15%を軍用に割り当てるよう指示した。ビールメーカーは喜んでこれに応じ、戦争への貢献をアピールした。ビールは愛国心や士気を高める飲み物として描かれ、ビール酵母に含まれるビタミンBの栄養価の高さまで誇らしげに強調された。もちろん、国防省の職員にもビールは配給された。 イギリスも同じだった。食品大臣ウールト

ズールー族のシャーマンは戦士たちに魔法の薬草を与えた

19世紀から20世紀初頭にかけて世界中で行なわれた植民地戦争では、多くの現地部族は技術的にも組織的にも圧倒的に優れた帝国軍を相手に戦わなければならなかった。そのため彼らは、多種多様な刺激的かつ幻覚的な精神作用物質を噛み、吸い、飲み、食べることによって、自らの精神を鍛え上げた。 たとえば、1879年のイギリス軍とズールー王国との戦い(ズールー戦争)がそうであった。 1879年のイサンドルワナ(Isandlwana)の戦いで、ズールー族はイギリス軍に対して兵器では圧倒的に劣って