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禁煙令に違反した者は鼻と唇を切り落とされて処刑された

タバコは、紀元前5000年から3000年の間にアンデス地方で初めて栽培され、その不思議な効能から、宗教行事や戦争前の儀式用、あるいは薬用として重宝された。人びとは、戦いの前には戦士の顔に、農耕の始まりには畑の土に、また性行為の前には女性の身体に紫煙を吹きかけた。

タバコは徐々にアメリカ大陸全体に広がり、ヨーロッパ人が到着するまでにはしっかりと根付いていた。コロンブスから始まって、新大陸に到着したヨーロッパ人たちはすぐにタバコが手放せなくなった。

タバコがヨーロッパ大陸に定着したのは17世紀頃である。いったん人びとの間にタバコが定着すると(つまり、多くの人びとがニコチン依存症になると)、ヨーロッパの国々はタバコの独占化と課税によって、その収益力を利用するようになった。

それは戦争による財政負担が大きな原因だった。17世紀初頭の三十年戦争から20世紀前半の世界大戦に至るまで、大きな軍事衝突のたびに兵士によるタバコの消費は急増し、戦争が終わるたびに兵士はその習慣を家庭や社会に持ち帰った。

タバコは、神経を鎮め、空腹を抑え、退屈を和らげ、兵士たちの仲間意識を高めた。厄介なことにこの効果は、タバコを吸い続けることによってしか維持されない。しかしアルコールに比べて、タバコは暴力的行為の原因になることもなく、喫煙者を酩酊させることもない。長期的なリスクはあっても短期的なリスクはきわめて少ない。つまりタバコは、アルコールよりもはっきりとした利点があり、あらゆる意味で理想的な戦時薬物だった。

しかし、タバコに激しく抵抗した国もあった。1609年のサファヴィー朝オスマン帝国の戦争では、ペルシャのシャー・アッバース1世は、兵士がタバコを好むようになったことを知らされると、直ちにこれに厳罰をもってのぞんだ。違反者の鼻と唇を切り落としたのである。すでにタバコは士官の間にも広がっていたが、禁煙令に違反したある士官は皇帝の面前で最も厳しい拷問を受けて処刑されたときでさえ、ポケットに短いパイプを入れていて処刑中にも乞うて喫煙の機会を得ていた。

しかし結局、厳しい懲罰はタバコの強い依存性には無力だった。ペルシャ兵は喫煙のための水パイプを戦場に持ち歩くようになるほど、タバコは普及したのだった。

ここにいたるまで、ペルシャ兵士たちは兵舎の便所で隠れてタバコを吸い続けていたのだった。(了)

  • 注:タイトルの画像は、マヤ文明パレンケ遺跡において発見されたレリーフ(部分)。神がタバコをくゆらしている様子が描かれている。by Wiki

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