見出し画像

ヨーロッパ戦線 銃後の乱痴気

かつて酩酊薬物がこれほど象徴的な重要性をもったことはなかった。

第二次世界大戦では、アメリカ政府は、戦地に赴く兵士の喉が渇いていることは許されないと、醸造業界に対し生産量の15%を軍用に割り当てるよう指示した。ビールメーカーは喜んでこれに応じ、戦争への貢献をアピールした。ビールは愛国心や士気を高める飲み物として描かれ、ビール酵母に含まれるビタミンBの栄養価の高さまで誇らしげに強調された。もちろん、国防省の職員にもビールは配給された。

イギリスも同じだった。食品大臣ウールトン卿は、ビールは、兵士はもちろん国民の士気を高めるのにも欠かせないと演説した。しかし、戦争が長引くにつれてビールを国民や兵士に流し続けることは次第に困難になっていった。ドイツ空軍の爆撃によって、1943年までに1300軒あまりのパブが破壊されたからである。もっとも、イギリスの勝利は、配給されていたラム酒のおかげだと信じている兵士はたくさんいた。

ドイツはアルコールに対して厳しい態度をとった。1939年には、アルコールおよびタバコ危険対策局が創設され、アルコール税も増税され、製造と販売に規制の波が押し寄せた。この新ルールは軍隊にも及んだが、現場の指揮官たちはしばしば寛容な態度をとった。前線では、アルコールは弾薬と一緒に自由に配給され、ウォッカ、シュナップス、ビールが対戦車砲の砲弾の数と同じくらいあった。アウシュビッツでもアルコールは自由だった。SS隊員は、片手にピストルを持ち、空いた手でウィスキーの瓶をぶら下げていた。ガス室を管理していた医師たちも、アルコールのおかげで仕事を潤滑にこなすことができた。アルコールは、ここでは大量殺戮の動機づけと報酬に役立ったのだった。

フランスは、もちろんワインに傾倒していた。飲酒が奨励され、消費量は急増した。全鉄道車両のうち3分の1が、ワインを前線に大量に運ぶために確保された。しかし、フランスが2ヵ月でドイツ軍に敗れると、フランス兵を軟弱にしたと手のひらを返すように、ワインが非難された。

ブルゴーニュ、ボルドー、シャンパーニュでは、生産者たちが必死になって自慢の品々を隠した。不良ワインを良品と偽って出荷したり、良品ワインを水で薄めたり、不良コルクを使用したり、さらにはドイツに出荷する樽のワインを水で代用することで抵抗したが、結局は無駄だった。ナチスは占領期間中、1日平均90万本近くのワインを接収したのだった。ゲーリングは、自分のワインセラーに最高級のワインを何十本と貯蔵していた。

ドイツ軍のシャンパン注文から重要な軍事情報が得られることもあった。ドイツ軍は勝利をシャンパンで祝う習慣があったので、注文時に指定された送り先は、彼らの攻撃の事前警告となったのだった。レジスタンスは喜んでその情報をイギリスに伝えた。たとえば、1941年にドイツ軍が数千ケースのシャンパンを出荷するよう命じたその送り先は、ロンメル司令官が展開する北アフリカ作戦の機密情報そのものだったのだ。(了)

参考
・PETER ANDREAS:KILLER HIGH-A HISTORY OF WAR IN SIX DRUGS(2020)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?