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ハイになって銃を構える子ども兵に発砲すること

西アフリカの大西洋岸に面するところに、シエラレオネ共和国という人口800万人ほどの小国がある。以前はイギリスの植民地であり、1961年に独立したあと、国内では政情不安が続いていた。

2008年に、そこでイギリスのロイヤル・アイリッシュ連隊のパトロール隊が、テロリストに拉致されるという事件が起こった。このことじたいはそんなに珍しいことではないが、司令部を驚愕させたのは、屈強なパトロール隊を拉致したのが、ウエストサイド・ボーイズと呼ばれる少年兵の部隊だったことだ。彼らの隊長は15歳の少年で、部隊の中には7歳の子どももいた。アイリッシュ連隊の精悍な兵士たちは、銃を向けるこの子ども兵たちに発砲命令を出すのを躊躇し、降伏を選択したのだった。西洋の基本的な文化規範である人道主義が、危険なまでに裏目に出た。

イギリス陸軍の特殊空挺部隊 (Special Air Service=SAS)が救出作戦(シエラレオネ人質救出作戦)を実行したが、それは決して楽なものではなかった。なぜなら、ウエストサイド・ボーイズは死に対してまったく恐れを知らず、果敢に向かってきたからである。それは薬物のせいだった。中には、〈魔法のお守り〉が自分を守ってくれると信じている者もいた。SASの兵士たちは、この作戦で多数のテロリストと少年兵を殺害し、仲間全員の救出に成功した。

イギリスがこの戦闘から学んだことは、薬物依存の子ども兵と戦うことは、確かにフラストレーションがたまるし、文化的に混乱することだが、武装した子どもたちとの戦闘に備え、訓練し、心理的な準備をしなければならないということだった。

戦争への子どもの参加、徴兵は、決して新しい現象ではない。アテネやスパルタでは少年を隊列に組み入れたし、中世の少年十字軍では、何千人もの少年少女が宗教的熱意をもって行進した。アメリカ南北戦争では北軍と南軍の1割から2割が18歳未満だった。第二次世界大戦では、10歳から18歳までの青少年からなるヒトラーユーゲントがベルリンを防衛した。他にも子どもたちが戦争に直接関与した例はもっとあるだろう。しかし、戦術的な影響が広範囲に及ぶのは、戦闘に参加する子どもたちを故意に薬物で酔わせることである。

ユニセフは「子ども兵士」を「いかなる種類の正規または非正規の武装勢力または武装集団にいかなる立場でも属している18歳未満のすべての人」と定義している。戦闘への子どもの積極的参加を制限することは、西洋的な戦争のスタイルであり、規範である。しかし、1990年代後半には、世界で30万人以上の子ども兵士が戦っており、そのうちの4割がアフリカで活動していた。21世紀に入ってその数は減少したが、それでも戦闘に参加している未成年者は、約20カ国で約25万人もいる。子ども兵は今後も戦略上避けられない存在であり続けるだろう。

そのような地域では、1989年の国連子どもの権利条約(第33条)で禁止されている、子どもに対する「麻薬および向精神薬の不正使用」も守られることはないだろう。アフリカの子どもたちは、優れた戦闘員に育て上げるという極めて現実的な目的のために、アンフェタミン、コカイン、ヘロインといった古典的なハードドラッグを投与されてきたのである。

薬物でハイになった子どもたちが、正確にプログラムされた殺傷力のある戦争マシンのように躊躇なく敵兵を殺す姿は、実に不愉快である。しかし、これも戦争の現実の一つなのである。(了)

【参考】
「子ども兵士」の背景と実情 ―― なぜ子どもが兵士になるのか/小峯茂嗣 - SYNODOS


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