つくりだしたまぼろしに、気づいていく世の中
こんにちは、Soniiです。
いつもありがとうございます!
今日は、冬至前の新月ということで、とてもクリアで、清涼感のある感じがしています。
いつもは、書くことが浮かんでから書いているのですが、今日は、このクリアで清涼感のある、流れのままに、書かせていただきたい気持ちでいます。
秋分をすぎて、新月と満月ごとに、クリアになっていったように感じるのですが、クリアになっていく、ということは、自分を感じやすくなっている、というふうに思います。
自分を感じるということは、自分の中の、さまざまな想いを、大切にしていくということ。
わたしは、自分の弱さや醜さを、認めることができるようになってから、ずいぶん、自分をゆるすことができるようになりました。
生きていると、いろいろなことが起きて、いろいろな感情がうずまいて、きれいでいようと思っても、そうあることは、とてもむずかしいです。
「よくなりたい、よくしたい」と思っていたときには、とにかく、がんばればなんとかなる、と思っていました。
そのがんばり、というのは、自分にむかわずに、外にむかう、というがんばり方でした。
スピリチュアルなことを、「自分をよくするために」、解釈をして、自分のために、用いようとしていました。
そうすると、どんどん、本当の自分からは、はなれていって、自分を否定をしてしまっているような、気がしました。
スピリチュアルなことをいくら勉強しても、根本的なわたしが、わたしのことを大切にしていないために、そのようなことが、起きていました。
いちど、なにもかもしんどくなって、スピリチュアルなことを、すべてやめました。
その時に、本当のスピリチュアルというものは、もっと、やさしくて、おだやかで、だれにでも平等に届いているものだ、ということを、感じることができました。
自然のように、いつも、そこにあって、待ってくれている。
それからは、自分の中に、すべての答えがあるとして、答えがくるまで、待つようになりました。
流れ、というものが、感じられてくるようになりました。
わたしたちは、本当は、とてもとても大きな存在で、大きすぎてはしっこがみえないくらいです。
けれど、わたしは、自分を、小さな小さな箱に、押し込めるように、していました。
その箱、というのは、他人軸、まわりからの目のようなもの、によってつくられた、制限であったり、観念であったりしていました。
その箱が、まぼろしだったのだと、気がついたとき、自由になっていきました。
箱は、はじめから、存在していない。
わたしが自分で、箱をつくった。
神様は、わたしに、そのことに気づかせるために、いろいろな出来事を用意して、わたしが、わたしの足であるいて、箱はまぼろしで、もういらないものなのだ、ということに気がつくことができるように、見守ってくれていました。
いろいろなことに、気づくまでの道のりは、山のぼりのようでした。
ひとつの山の頂上についても、つぎの山がみえてきたり。
のぼってものぼっても、頂上がみえてこなかったりします。
わたしには、一気にのぼる、体力も気力もありません。一歩あるいて、ゆっくりと休憩をする、くらいのわたしに合った速度で、あるいてきました。
ほかのひとが、のぼっている山も、みえます。
わたしがのぼっている山とは、まったくちがっていて、きっと頂上からの景色も、道中にあるものも、ちがっています。
山にのぼっている、ということは、同じです。
価値観がちがっても、同じことをしている、同じ人間どうしです。
いろいろな山、いろいろな速度、いろいろなのぼり方が、あっていいのだ、と思えるようになってからは、とても楽になりました。
そんなふうにしていた山のぼりも、もしかしたら、もうすぐ、終わりなのかもしれません。
山は、はじめからなかった。
山も、まぼろしだった。
地上で、そのまま、その場所で、みえる景色。
たかいところや、とおくに、行こうとしなくても、地上にいて、よかったのだ、ということに、世の中全体が、気づいていくような、気がしています。
なにかもう、わたしたちが、どうにかこうにか、しようとしなくても、大きななにかの力によって、きれいに、お掃除されていく。
その大きななにかの力は、わたしたちが、信じていても、信じていなくても、関係なく、はたらいていく。
そのような点まで、到達しているように、感じています。
よくがんばりましたね、もう、大丈夫です、あとはやりますよ、と神様が、いってくれているような。
そんな、おだやかさと、さわやかさが、今あります。
冬至をこえて、もしかしたら、もっと、速度は、あがっていくのかもしれません。
ひとりひとり、がんばってきたことが、むくわれていく世の中。
宇宙、自然といった、もともとあった流れや力によって、整えられていく世界。
自分の中のさまざまなものを、感じたときには、抵抗をせずに、受けいれていってみます。
受けいれるだけで、もともとあった流れや力によって、すばやく、整えられていく。
弱さも醜さも、山をのぼっていたときにがんばってきた、いとおしいものとして、大切に感じられてくるかもしれません。
わたしたちが、もうしんどいことをしなくてもいいような、力がはたらいている。
しんどいこと、というのは、自分を箱に押し込めようとしたり、山のぼりをしようとしたり、といったこと。
そのような世の中、世界が、きてほしいな、と思っています。
きっともう、きているのですね。
予報どおり、とても寒くなりました。
noteで、雪のお写真をあげてくださっている方が、たくさんいらっしゃいました。冬は、こんなにも美しいのですね。
響くことがありましたら、大変うれしいです。
今日もありがとうございます!
Sonii
☆☆☆ご支援、ありがとうございます!☆☆☆ とてもうれしいです(*'▽') よい循環のために、大切につかわせていただきます あなたにも、すてきな循環がありますように!