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私が日本語教師になるまで。第三部『決心』

このストーリーは3部構成です。


第一部「挫折」
第二部「本屋での運命の出会い」
第三部「決心」

↑ 第一部「挫折編」
大学4年生で就職内定をもらって安泰のはずだったのだが、
入社直前の3月に「就職張氷河期」により、まさかの内定取り消し…
そのショックにより、酒とタバコを始め、自暴自棄に…

↑ 第二部「本屋での運命の出会い編」
ある日入った本屋で、私の将来を決定付ける運命の出会いをする。
アメリカ留学時代を振り返ると、
そこには、その出会いを匂わす経験があった。


「420時間日本語教師養成講座」に通い始めました!

当時、20年ほど前…なので、
どのように養成講座を選んだのか、忘れてしまいましたが、私は
「千駄ヶ谷日本語教育研究所」の「毎日・6ヶ月コース」を選びました。
特に千駄ヶ谷がオススメということもないので、
興味がある方は、以下のリンクを参考にしてみてください!



420時間コースの記憶

講座を担当していた先生方を見ていて思ったこと。
それは、
「先生たち、みんな個性的すぎるー!
日本語教師になる人って、変わり者なのか?!」



「直接法」って遠回り過ぎない?!

当時は、日本国内の学校で教壇に立つことを前提としていたためか、
日本語を用いて日本語を教える「直接法」が主流でした。
すごーく記憶に残っているのが、実習の最後の模擬授業。
実際に外国人の学習者20名ほどを相手に、初級レベルの授業をしました。

その授業で「新出単語」を導入する時の
時間のかかり方が半端ない!

例えば、「時計」という単語の導入は、
レアリア(実物・生教材)があるからいいんです。

ですが、その場で実物が見せられない
「動詞」「形容詞」「挨拶」のようなものを、
他の余計な動作や要素をできるだけ省いて(どのことを指している単語なのかわからなくなってしまうため)、伝えるのは至難の業でした。

例えば、「きれい」という形容詞を導入する場合(もううろ覚え)、
「きれいな」ものが描かれた絵や、「きれいな」ものの実物、
「きれいな」写真などを使って、AさんとBさんの会話を再現してみせたり。

そこで「直接法」を学んだのは、とても良い経験になりました。
日本語教師になりたての頃は、「直接法」を頑張って使っていました。
でも実際は、そこで「beautiful」と言ってしまったほうが、
煩わしくないし、余計な時間をかけずに済むということが多々あります。
「こだわり」を持ちすぎず、「臨機応変」がいいですね。



養成講座を終えたものの、国内で先生になれない?!

色々学んで、6ヶ月で無事に修了!
「さあ、日本語教師になるぞ!」

そう意気込んでいた私に、衝撃の事実が。
国内の日本語学校、ほぼ全ての募集が、
【日本語教師経験2年以上】だったのです…

「う、うん。そうかそうか。そういうものなのね…」
養成講座を修了したクラスメートのなかで、
実際、すぐに日本語教師になろうと活動している人は数人でした。


なら、海外行くしかない!決心!

その頃の私の考えは、
「先ず海外に出よう!色々な国で2年ずつくらい日本語を教えて、
最終的に日本に帰ってくれば、国内の日本語学校で働ける!」

というものでした。

「先ずはどこへ行こうかな。」と考えました。

私は、大学で半年間中国語を履修していたので、
「台湾に行こう!」
決心したのでした。

台南のとある日本語学校の求人を発見!

アメリカ留学の時と同じ、
行くなら「日本人が少ないところに行く。」
と決めていた私。

ネットで台湾の求人を見ていると、
古都台南にある日本語学校に募集が!

早速連絡したら、直接その学校に行って面接してもらうことに。

現地で学校の様子を見たり、オーナーと話したり。
そうしたら、すぐに採用が決まりました!

こうして、
2003年後半に台南で日本語教師としてのキャリアを歩み始めたのです。

めでたしめでたし。


と言いたいのですが、

その日本語学校での教師生活はかなり過酷なものでした!
そこで働いていたのは実質2年という短い時間でした。

しかし!
今で言う「ブラック」で、それはそれは働きまくったので、
きっと人様の4年分くらい経験させてもらったと思っています。

今では、あそこでの修行が私の土台となって、
知識面や技術面でも支えとなっています!

またいつか、
『私の日本語教師経験ー台南編ー」を書きたいと思います!


総括:

人生の大きな挫折を経験し、路頭に迷っていた私。
ですが、それまでの経験や運に助けられ、
「日本語教師」と運命の出会いを果たしました。

今思い返して、
「紹介予定派遣先の品川の貿易会社で、もしすんなりと就職していたら」
と思うと、今頃どんな人生を送っていたのか、全く想像もできません

現在、日本語教師としてのキャリア22年の私ですが、
私にとっては「日本語教師」というのは、
『仕事』と呼ぶのも憚られるくらい「なくてはならない存在」です。
「日本語教師」が私に与えてくれたものは数え切れません。
その中で最も強く教えられているのは、
「日々の学びを止めずに、成長し続けろ。」ということです。


これにて、
「私が日本語教師になるまで」ー完ー  です!

今後は、
色々書いていきます!!
(ここまで書いて疲れちゃって、いいまとめが思いつかん…)

↓ 詳細はこちらを読んでいただければ!

お読みくださり、ありがとうございました。

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