見出し画像

私が日本語教師になるまで。第二部『本屋で運命の出会い編』

このストーリーは3部構成です。


第一部「挫折」
第二部「本屋での運命の出会い」
第三部「決心」

↑ 第一部「挫折編」あらすじ
大学4年生で就職内定をもらって安泰のはずだったのだが、
入社直前の3月に「就職張氷河期」により、まさかの内定取り消し…
そのショックにより、酒とタバコを始め、自暴自棄に…


そんな訳で、大学卒業直前に無職となった私。
お酒とタバコ+テレビで過ごす日々。


そんなある日、本屋さんへ。


時間だけは人一倍あった私は、色々なコーナーを見て回りました。
あるコーナーで「日本語教師になろう」という本を手に取りました。
↓ こんな感じの。

「日本語教師!」
名前は聞いたことはあったものの、今まで考えたこともありませんでした。



アメリカ留学時代

大学3年次に大学を1年休学して、私費でアメリカ留学をしていました。
場所はオレンゴン州・ユージン。

オレゴン大学を中心にした「学生の街」。年間平均気温が華氏53度(摂氏11.7度)と比較的温暖で、夏を除いて雨が多いため、自然が豊かでのんびりした雰囲気の街でもあります。とてものんびりした雰囲気で、自然にあふれていることから、この周辺で映画 『スタンド・バイ・ミー』 が撮影されたと聞いても納得が行くはずです。
(中略)
ユージーン市の別名は「ヒッピー・タウン」。長髪や奇抜な服装が特徴のヒッピーが多いことからこう呼ばれています。

https://www.junglecity.com/portland-oregon/oregon-cities/eugene/

留学期間中、私はアメリカ人家庭でホームステイをしていたのですが、
たまたま、そこのお隣さんが、長年そこで暮らしている日本人家族でした。
で、そのご家族の奥さんがオレゴン州立大学で「日本語教師」をしていたのです。
初めて「日本語教師」という職業を知ったのが、その時でした。

そもそもユージンという場所を選んだのは、
「日本人が少ない場所に行きたい」という理由でした。
なのでそこでできた友人は、
ドイツ・ユーゴスラビア・タイ・韓国・台湾・アメリカなどなど、
様々な国の人たち。
「英語」が大好きで、海外旅行(学生時代はもっぱらバックパックでの貧乏旅行)も大好きで、色々な人と交流することも大好きだった私ですが、
当時は「ふ~ん、日本語教師か~。そういう職業があるのね~。」程度。

でも、このアメリカでの経験が後に、
私を「日本語教師」へと導いてくれたのでした。


運命の出会い


話を本屋での出会いに戻します。
「日本語教師!私に合ってるかも!」と思ったんです。

その本には、確かこのようなことが書かれていました。

こんな人が日本語教師に向いている!
・人と会話するのが好きな人
・世界中を飛び回りたい人
・言語に興味がある人

「これ、私のことじゃん!」

運命の出会い


「日本語教師」と運命の出会いをした私は、
その後すぐに「日本語教師養成講座420時間コース」に通うことを決めました。



次回、第三部『決心』
420時間コースの内容やその中で感じたことについても、お話します。
それから、コースを終えた私が
日本語教師になるために「決心」し、実行したことを書いていきます!

次回も是非読んでみてくださいね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?