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形骸化する学問

 2、3日前にnoteを初めて、まだあまり仕様を理解できてないですが、「応募」といった文字を見て、なんかアドレナリンが出てきたので
今回は、「学問」。
さらに受験勉強に絞って書いてみようと思います。

 私は、大学を卒業している身なので、受験勉強は経験しました。
そして、受験勉強をしている時、思ったことがあるのです。
「この労力を他のことにブッ込めば、大学合格以上のものを得られるのじゃないか。」
なんとも、ぼんやりしてますが
「大学合格以上のもの」
大学合格の先に得られるものは何でしょうか。
高度な教育。環境の良い研究施設。名教授の講義。

否、大体の人は就職において有利だから。大卒の方が生涯年収が高いから。

 今の時代、学問は形骸化しつつあるのだと感じます。
学問は好奇心から学ぶもの。
正直、何だっていいんです。
国語、数学、理科、社会、英語に限らず、
知りたいものを知り、それを体系化していくこと。
しかし現在、学問は生涯年収を上げるためのツールに過ぎないのだと思います。
それは学校で学問の先にあるものが、テストや受験だからです。

国語を学んだ先に何がある。
数学は何生み出すことができるか。
歴史を学ぶことの意味。

 それらが好奇心の源になるはずなのに、現在はいかに点数を取り、いい大学に入るか、それが学問をただの条件としての知識になり下げていることだと思います。

 大事なのは、その先にあるもの。
現在、ネット検索で大概のことは調べることができます。
ゆえに、表面的な知識は頭に入れずとも、スマホが全て教えてくれます。

「この労力を他のことにブッ込めば、大学合格以上のものを得られるのじゃないか。」
おそらく、私がこう思ったのは、現在の学問、いやむしろ作業に意味を感じなかったからだと思います。
別に、受験科目となっている学問を否定したいわけではないです。
英語は、海外の方とのコミュニケーションに役立ちます。
その他にも、言語の構造を理解するきっかけにもなります。
理数系の科目は、研究には必至です。

しかし、算数ドリルにも大学の赤本にも解答があります。

本来の学問:「なぜ?」を追いかける

現在   :すでに体系化されたものを反復するだけ

社会では自然とヒエラルキーが成り立ちます。
これは人間社会に限らず、動物の社会でも同じです。
ただ、現在の資本主義社会においてヒエラルキーが成り立たつ標準は解答つきの作業になっているのではないかと感じます。


以上です。
いつも(といってもまだ始めて2、3日)は、音楽についての記事を書いていますが、たまにはこうゆう上から目線で語っていくと言うのも面白いですね。
「学問」。
言葉として具体化されると人は勘違いしがちですが、もっと可愛く言うと
「知りたい!」「好き!」
と言うことではないでしょうか。
そう考えると、恋愛も一種の学問と捉えてもいいんではないでしょうかね。

ちょっと何言ってるかわからなくなってきたので今回はここら辺で。



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