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「大丈夫」の魔法に、かかり続けたい

"普通に生きてきた人には勝てないな。"

そう思う出来事で溢れていた、ここ数ヶ月。
きっと本当に言いたいことは、勝てない、じゃない。
みんなには分からないでしょ、なんだと思う。


でも本気でそう思ってしまったら、口に出してしまったら、私はいろんな人から離れたくなってしまう。いろんな人を失ってしまう。いろんな人を敵にしてしまう。
まるで私に寄り添ってくれないみんなが悪いとでも言いたいかのように。

だから自分が悪い、自分がおかしい、に置き換えた方がずっとずっと楽なの。誰かや何かを羨ましく思うより、みんなは普通で私が変なのだと、変な私が悪いのだと、そう思った方が敵は自分になるだけで楽なんだよ。






この記事での出来事、この気持ちを抱えながらも生活と体調のことでなかなか勇気が出ず働き続けていることをいつもの友達に話したときに言われた言葉が、ずっと私の中から抜けてくれない。思い出す度に涙が出る。

人の目は関係ないし、
お金は案外どうにでもなるのに
何故そんなうじうじしてるのかなって思う。

◯◯が仕事をやり遂げたいっていう
責任感はすごいと思うし良いことだけど、
お父さんと関わりたくないなら
全部やめないととても中途半端。
◯◯がどこを目指したいのか分からない。


昔付き合ってた人にも同じようなことを言われたなぁって。
昔のトゲまで、必要ないのに思い出しちゃった。

「◯◯にとって家庭のことは今に始まったことじゃないんだから、それを話されても何も特別なことだと思わない」って、そんなようなことを言われて少しも寄り添う言葉をくれなかったあの日。欲しかったのは優しさだったのに、突き放されたあの日。もう7年ぐらい前の話なのに未だに覚えていて。笑っちゃうね。



うじうじ、か。
どれだけ仲が良くても、十数年付き合い続けてきても、すべてをリアルタイムで知っていてくれた友達でも、やっぱりそう思うんだなぁ、って。

そのあと、「◯◯がとても辛いのは分かってる。我慢できて偉いよ。ずっと理解してもらえなくてなんで私だけってなるよね。でももうこの歳だし、いつまでも未成年じゃない。親との関係も仕事も、許可なしで自分で選択できるんだよ。」と声をかけてくれたけれど。分かってるよ、分かってるんだよ。

それでもやり切れない思い、やり場のない思いが私の中にあり続けることは、それと戦い続けて今の私があることは、そんなにいけないことなのかな。




親への気持ちを、そう簡単には断ち切れない。
大切にされないからって、簡単には子供をやめられない。

みんなだって、大人になっても、社会人になっても、自立しても、家を出ても、結婚しても、自分が親側になっても、両親の存在は変わらないでしょ?全く関わらなくなる日がくるわけではないでしょ?それを自分で選ぶこともないでしょ?

友達と呼べる人や恋人になれる人が生涯1人だけではないのと比べて、両親と呼べる関係性に、簡単に代わりも次も生まれないでしょ?唯一無二なんじゃないのかな。

だから私だって、みんなと同じなだけなんだよ。
親子関係が正しく育まれなかっただけで、その過程が違っただけで。

大切にされなかったから親の存在を諦める、なんて、
そう簡単にできないよ。できないから苦しいんだよ。





そんなことがあってから、誰かに聞いて欲しいと思うことを人に話さなくなった。話すことをやめてしまった。

極端だなぁと思いつつ、必要以上に傷つくことがこわくて、返事次第で大切な人たちを避けるようにはなりたくなくて、苦手だと思ってしまいたくなくて。そのためにはそのきっかけを作らないでいよう、って。

そうやって私はいつも回避してきたんだった。
最近忘れてしまっていたのかな、他人を信用しすぎていたんだと思う。ほどほどの距離感を自分が守らずにいたせいでこうなってしまった。誰も悪くない。


だけど1人だけ、そんな私に「大丈夫」と言い続けてくれる人がいる。その人の言う「大丈夫」はまるで魔法みたいで、なんの根拠もない言葉は得意じゃないはずの私なのに、なんでかその人の言葉にはものすごく安心してしまう。



「大丈夫」は、「なんとかなるよ」の意味だと思っていた。
だから私は好きじゃなかった。
だって、なんとかなった試しなんてないのだから。

もしなんとかなっているように見えるのなら、それは私がものすごく苦労して、努力して、ようやく手に入れたものなのに、それを人は「それでもここまで生きて来れたじゃん」「楽しいこともあったでしょ?」なんて、簡単に言う。

だから好きじゃなかった。なんとかなるように頑張ってきたのに、その苦労は誰にも気づいてもらえないんだ、って。


だけどこの人が私に言う「大丈夫」は、「分かっているよ」という意味のような気がして。たぶん、本当にそうで。



「◯◯ちゃんは、お父さんのこと大好きなんだね」って、私に言ってくれたことがあった。そんなこと、今まで誰にも言われたことなかったのにな。だけどそれは本当だった。私はお父さんが大好きだった。

「また同じ家に生まれたい。そうしたら次は絶対、お父さんとお母さんがうまくやれるように、そもそもお母さんが病気にならないように、家族4人でいられるように、全部私がうまくやるのにな。そうしたら私だって、みんなと同じ普通になれるのに。人生2周目、あって欲しいんだよ。」と話したとき、私にかけてくれた言葉に思わず涙が溢れてしまって。

同じ家に生まれ直したいって聞いた時、
この子は本当に本当にいい子なんだって
改めて思い知ったんだよ。

ありがとう。
意味が分からないかもだけど、ありがとうって言いたい。


本当に、すべてが魔法みたい。
すこし前の私が言っていたように、言葉の魔法には魅せられないでいたいのに、この人の魔法は信じてしまいたくなる。単純だなぁ。



「本当に優しいよね」とこの人に言う度に返してくれる言葉も、結局全部が優しい。やっぱり、私にとっては魔法のようで。

自分が優しいとは思わないけどもしそう感じるなら、
それはそれだけ◯◯ちゃんが
今まで頑張ってきたからで、
◯◯ちゃんだからもらえるものなんだと思う。

これを優しさだと受け止めてくれるなら、
◯◯ちゃんに返してるだけなんだよ。


優しくしてくれる、と思うのなら、それはあなたが人に対して優しいから、その優しさが自分に返ってきてるだけ、なんだって。そんな言葉、どう生きてきたら他人にかけてあげられるんだろうな。


びっくりする。
私にこんな言葉をくれる人がいるなんて。
それを何も特別なことではなくて、あなただからもらえるものなんだよ、と言ってもらえるなんて。

私を肯定することが、本当に上手な人。
私が嫌いな私を、丸ごと好きでいてくれる人。
それ以上に、全部、私を好きになってくれる人。



自分のことが、ずっとずっと嫌いだった。

好きになるための努力をどれだけしても結局好きになりきれなくて苦しかったのに、好きだと思えることが1つできてもすぐに嫌いが倍以上現れるばかりだったのに、嫌いな自分を無理に失くさなくても大丈夫、それ以上に好きでいるよ、なんて、これ以上の愛があるんだろうか。私は知らないよ。知らなかったよ。

むしろ、その部分の私がいるからこそ好きなんだって。
普通はみんな、人の明るくて元気でポジティブな部分を好きになって、そこだけを見たがるものなのにね。





人からもらう言葉を疑うようになってしばらくが経つけれど、この人は言葉だけじゃなくて行動まで、たっぷりと私に与え続けてくれる。

だから、魔法みたいだっていつも思うの。

言葉だけで呪文を唱えるわけじゃない。
行動までも私にくれるから、本当に魔法をかけてもらえるようで。


彼の「大丈夫」に包まれる度、
私は私らしくいることを許されるような気持ちになる。

あなたがあなたらしく、あなたのままでいられる場所をつくりたい、と言ってくれた日から今日まで、本当にその思いが込められた言動を1日も欠かさず私に与え続けてくれる。

そんな優しさと温かさで自分が解されていくことは私自身がいちばん分かっていて、そのために日々どれだけの愛情で包み込んでくれていることか。


その愛情の中に潜って、この先もずっと安心していたい。
何倍以上にもしてお返しをしたい。
私に抱え切れないほどの幸せをくれる彼を、
私が必ず幸せにしたい。





最近は夜ご飯を一緒に食べる日も多くって、
やっぱり人に作るご飯がすごく好きだと改めて思う。

好きで作っているだけのそんな私に、
ほんのきもち、と書かれたポチ袋をくれた。
くれた、というより、こっそりと家に置いてあった。


生きていくには
食べ物もお水も他にも色々なものが必要なわけです。
それらを手に入れる為に必要なものなので、
気にせず受け取ってくれたら嬉しいです。
いつも本当にありがとう。

そう書かれた手紙とお金が入っていて。

外食するときにはいつも払ってくれるし、一緒にやるゲームだって買ってくれるんだからこんなの全然大丈夫だよ、と思ったけれど、文章があまりにも彼らしい。お金、という言葉を残さないところも。


いつか、2人で旅行でもするときのために
これは大切に貯めておこう。

でも、お金を貯める、という感覚よりも、
気持ちを大切に残しておきたくって。

私にも優しさで断られたお金たちが既にたくさんあるから、そんな気持ちを貯めるようなかわいい貯金箱でも買おうかな。


お互いがお互いに送る優しさと温かさを、
また2人での出来事に使いたい。

そんな未来がこの先も続いて欲しい。

そのために私は、
あなたを大切にする努力を怠らず、重ね続けていきます。



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