0307_そんなことで、私は幸せだった
久々に、よくそんなこと言うなぁってことを面と向かってお父さんに言われて、自分勝手に生きている人の方がよっぽどまともに生活できてることに腹が立って悲しくて悔しくて仕方がない。何年経っても変わってくれなかった。
どうして私が家を出たのか、どうしてそのためにバイトばかりしてお金を貯めていたのか、どうして今更病気になって薬を飲んでいるのか、今でもカウンセリングを受け続けているのか、この人はなんにも考えたことも気づくこともないんだろうなぁ。これまでも、これからも。
それでも世間からは「いい息子」「いい父親」だって言われるんだもん、ばかみたい。
ちなみに私は「もっとお父さんに優しくしてあげて」「親孝行してあげて」「いい子育てしてもらったね」と言われ続ける。
家を出て間もなかった18歳の頃は、学校が実家から通える距離なのに一人暮らしだなんて贅沢だ、なんて言われたこともあった。
何も知らない人たちからの知らないが故の一言に、あとどれだけ傷ついたらいいのか教えて欲しい。
正しい子育てなんて、してもらってないよ。
いい父親だと言われるようなこと、私も弟も何もしてもらえなかった。むしろその真逆だった。
いい父親は、不倫をするの?
いい父親は、離婚してすぐの頃から子どもを家に放置して、深夜まで女に会いに行ってばかりいるの?
いい父親は、前妻との子どもと新しい家族を平等に扱わずに無碍に扱うことが普通なの?
そんな環境で育つしかなかった子どもに対して、「ここまで面倒見てやったのに」なんて言うのがいい父親なの?
私がまともに見えるのなら、それは自分で自分のことをなんとかしてきたんだよ。みんなと同じように見えるように、なんとかやってきたんだよ。
みんなと違う自分が、普通じゃない家庭環境で育った自分が、この両親から生まれた自分が同じように、無意識のうちに誰かを傷つけてしまうことがこわかったんだよ、ずっと。
そんな人への接し方は「優しすぎる」と言われて、「そういうの飽きられるよ(笑)」なんて言われるようになった。
私は人に媚びるために優しくしてるんじゃない。
優しくしてもらいたいから優しくするんじゃない。
ただ、大切な人たちを傷つけたくないだけなのに。
その人たちが幸せだと感じることのできる一つに、
すこしでも貢献できたらと思っていただけなのに。
そんな私の努力や想いは認められず、責められて笑われる。
本当に悲しい。悲しいし、悔しい。
やっぱり、正しく生きることが幸せに繋がるなんて嘘だった。
人の気持ちなんて関係なしに好き放題やって、自分勝手に、自分本位に生きて、人を雑に扱ってでもそんなことお構いなしに自分の思い通りになることを優先して。そんな風に生きている人の方がよっぽど普通な生活をしている。
誰も傷つけずに、誰のことも責めずに、こうなったのは自分のせいだと思い続けてきた私は結果、病気になって長い間定職にも就けない。
楽しみ、であるはずの友達との予定や日常生活にも支障が出るようになってもう3年だよ。情けなくて笑えてしまう。
誰も傷つけないことが正しいと信じていたのに、私はいつだって傷つけられるばかりでもうぼろぼろだ。泣けてしまう。傷つける側の方が、幸せそうに毎日生きているんだから。
すこし前の私は、自分が消えてしまえば楽になれると思っていたし、思いの丈を何十枚にも綴った手紙を私と一緒に遺したらそれでようやく気づいてくれるかな、なんて思っていた。
でもきっと、あの人はきっと、何も思わないと思う。
ある知恵袋の回答を見ていたら、こんなことを書いている人がいた。ものすごく納得した文章だった。
数年前に話題になった毒親、というワードに全てを託せるほどされてきたことを簡単には説明ができないし、一括りにされたくもないけれど。
でも、お父さんや祖父母はこう思うだろうなぁって。
私たちに問題はない、仕事で辛いことがあったらしい、体調を崩して働けてなかったらしい、それで将来に絶望したらしい、なんて、きっと言う。そういう人たちだから。
だから今の私は、消えてしまおうと思うことをやめた。
それでも生きている限り、この思いは消えることがないし、言われてきたこともされてきたことも私の中からいつまで経ってもいなくなってくれない。
むしろ出会う人が増えていけばいくほど、親との関係性に問題がある私自身を"問題"だと思われることも多々あって、ある人が「親と仲良くない人と結婚なんてできない」「親を大切にできない人って、」とぽろっとこぼしているのを聞いたとき、そっか、世間からはそういう目で見られることもあるんだなぁと知った。
親を大切にすることが当たり前だと思える人は、幸せに育ててもらったんだと思う。僻みではなくて、本当に素敵な家庭で育ったんだと思う。
どれだけみんなの真似をして同じようになろうとしても、根本は結局私でしかないんだな、って。正しい愛情をもらえなかった私は、やっぱりみんなみたいにはなれないみたい。
そんな私が明日から、どうやって生きていくのか、正直今は何も分からないし数年前と同じように絶望している。というのは数日以内(明日からかも)に無職になりそうだから、です。
何も知らない人には無責任だと、大人気ないと言われてしまうのかなぁ。だから本当は明日から行くのをやめたいけれど、みんなに迷惑をかけることは嫌だから結局頑張って出社するんだと思う。何事もなかったかのように、いつも通り笑って。
それでももう二度と顔も見たくないし、関わりたくない。
仕事でなんとか繋がっていた親子関係だったとしたら、今日でそれももう終わり。私は親子だなんて、18の頃から思ったこともなかったけれど。
お父さん。
お父さんって呼ぶ最後の日かも、なんて思ってる。
昨日の仕事帰り、家に帰る気分にはなれなくて本屋さんに立ち寄ったら泣けてきたんだよ。
私がこんなにお父さんに対して何年経ってもいろいろと思うの、この数ヶ月は本当に心が苦しかったの、私相当恨んでるんだなぁって思っていたけれど、違っていたことに気づいたから。
私、お父さんのことが大好きだった。
大好きだったから、分かり合えないことが悲しかった。
私たちの家族について想いが交わることがなくても、仕事でもいいからお父さんと同じ気持ちになれる場所が欲しかった。
だから働くことにしたんだよ。
二度と関わらないと決めて家を出てから5年。
体調のこともあったけれど一緒に働くことをきっかけにして、また昔みたいに、お父さんと仲良く関われるようになりたかったんだよ。
だからお父さんの好きなゲームを買ってやってみたり、漫画を読んだり、私たちになかった共通の話題を作ることに必死になった時期があった。
事務仕事だけするつもりだったけれど現場が人不足で困っているのを知っていたから働く時間を変えて仕事内容も変えて、すこしでもお父さんを助けられたらと思ってこれまで働いてきた。
年間休日が90日を切っていても、10〜12時間の勤務が続いても、仕事で無理をすることが平気な私はそれで良かったんだよ。
また昔みたいに戻れるのなら、本当にそれで良かった。
だけどやっぱり、そうはならなくて。
この3年間、なんとか踏ん張ってきたけれど、そんな私に平気で今の家族の話ばかりをすること、私には興味の一つも持ってくれなかったこと、それに加えて今日私に言った一言。やっぱり何も変わってくれないんだね。
私にすこしも歩み寄る気持ちがないということ、すこしも大切になんか思われていなかったこと、むしろいなかった方が良かったんだと改めてよく分かる一言だった。
だから、ありがとう。ようやく諦めがつきました。
たまにある、話が弾む時間が嬉しかった。
家族が存在していた頃にみんなで観続けていた相棒に亀山くんが復帰すると決まったとき、一緒に1話を楽しみにできたあの時間が嬉しかった。
そんなことで、私は幸せだった。
こうやって今までのことを私さえ水に流せれば、また関係性を再構築できるだなんて信じていた自分が、本当にばかだったと思う。
私が何も言わないから、責め立てないからいいと思っているのか、まだ、今もまだ、私のことを傷つけたりお母さんの悪口を平気で言うんだね。その無神経さと身勝手さに、高校生の頃と同じように軽蔑した。
もう次はない。だからこれでおしまい。
人を傷つけてきた報いを受ける日が必ず来ますように。
たとえ地獄に落ちても自分の行いを振り返る日なんて来ないんだろうけど、今まで通り正当化し続けるんだと思うけど、私は絶対にあなたみたいな人にはならないし、心から軽蔑し続けて生きていきます。
さようなら。
もう二度と、私の人生に関わらないでください。
どうしてこうもいろいろと、何年も、上手くいかないかな。
関わる人や環境を変えても上手く生きられないのなら、やっぱり私に問題があるのかな。何をどうしたら普通に生きられるの。
ほんのすこしのことで、幸せになれるはずだった。
幸せを感じる基準値は人より圧倒的に低いはずだから、そんな私が幸せになれる機会はたくさんあるはずだった。それでもなかなか幸せにはなれなくて、近くにやってくる日も来なかった。
普通になりたいだけだったよ。
それが私の望む、幸せの意味だった。
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