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0327_生ぬるく感じるようになった春へ

今月、悪い意味で濃すぎる1ヶ月だった。
まだ終わってないけれど。
とにかくすごく疲れた、本当に疲れた。

ある時から、嫌なことが起きるのは決まって春だったなぁって。春の生暖かい空気を心地良く感じて好きだった頃の私は、もうずっとずっと昔のようで、遠い記憶の中にしかいない。この季節は私を無条件に憂鬱にさせる。今年もそうなってしまいそう。


本当、もっと、人生を穏やかに歩みたい。
なんでこうも忙しない人生なんだろう。
どうして同じ場所に留まっていられないんだろう。

安心できる場所と人に包まれて、それで優しい気持ちになれる自分でいたいだけなのに。これがものすごく難しい。私にはできる気が全くしないし、そんな日々が訪れそうな気配すらない。つらいなぁ。


それと最近ずっと、明るい言葉でnoteを書けなくて、誰に対してなのか分からない申し訳なさを抱えてしまう。




この間、実家、と呼ばれる場所に6年ぶりぐらいに足を踏み入れた。どうしても行かないといけない用事ができたから。本当に嫌だった。

インターホンを押して鍵を開けてもらって扉を開けた瞬間の私の第一声が「お邪魔します」だった時点で、それが無意識に出ちゃう時点で、やっぱりここは実家でもなんでもなくって、他人の家でしかないんだなぁって改めて実感した。

私の実家はもう存在していなかった、とっくの昔に。
知ってたよ、知ってたんだけどね。

だけどもうこれで二度とここに入ることはないように、用事も気持ちも片付けてきた。こうやっていつも、私はいろんなものを手放していく。本当は欲しかったものも、今だからこそ必要なものも、全部。そうすることでしか自分を守れないから。



また別の日、友達の前撮りに参加した日の話。

友達夫婦以外では友達のお母さんと私しかその場にいなかったのだけど、親子の会話と空気感を一緒に過ごした半日の中で目の当たりにして、あぁこれが本当の、親子のあるべき姿なんだなって。私の知らない世界がそこにはあった。

憧れちゃうよ。
結婚に、よりも、家族に。親子に。


前撮りのオフショット撮影と、参加するお犬様たちの子守りならぬ犬守りを頼まれて行ったけれど、カメラを通してお母さんや旦那さんから彼女へ注がれる愛情をいろんなところで感じて、その愛情が私には目に見えるものばかりで、微笑ましくて、羨ましくて、結果何百枚も撮ってしまった。幸せな時間だった。だってみんなが優しい気持ちでいてくれるから。家族って、温かいんだね。

その日から数日が経つけれど、カメラからスマホに移した写真を1枚も削除することができなくて。だって、どの瞬間も全部、幸せの形をしているんだもん。

この話はまたちゃんとnoteに残しておきたいから、あまり話さないでおこうかな。忘れたくない出来事こそ、しっかりと感情を言葉に残しておかないといけないね。




そんな、いろんな出来事が起こってからずっと考えていた。

私はまだ、親との関係性や家族の形に対して現在進行形で全力で壁にぶち当たっている最中で、この10年以上同じことで悩み続けている。悩むような出来事はいまだに更新され続けるし、避けられない形で私に降り注ぐ。


一方で、同じ教室で同じ授業を受けていたはずの友達は自分の育った家族から旅立って、新しく家族を築き始めた。

なんだか、それに対して自分はって、レベルの低さをひしひしと感じて、自分に呆れてしまって。なにしてるんだろうなぁ、本当に。

これは今になって突然感じたことではなくて、いろんな場面、いろんな友達との会話を通してどこかでずっと分かっていたことで、ただその呆れが今はピークというか。


結局、あんなに親子って肩の力を抜いて話せるものなんだって知った衝撃が抜けきらなくて、自分の育った環境、状況、親子の関係性がいかにおかしいのか、またひとつ気づいてしまったんだろうな。

それで私はいまだに親との関係とか距離感とかに悩んで、実家と呼びたくもない場所に久々に入ったら自然と出る言葉が「お邪魔します」で、自分の部屋だった場所に入っただけで当時の疎外感を思い出して泣きそうになって。なんか、なんだろう、これ。


他人と比べても、何の意味もないことは分かっているよ。
でもなかなか都合よく自分軸で生きられない。

だってやっぱり、一般家庭で育った人たちとは埋まらない差がありすぎる。それを自分がいろんな経験を通していちばんよく知っているから。

その違いを隠すために、相手にも自分にも感じさせないために、いろんなことを必死で頑張ってきたけれど。結局、無償の愛をもらって育った人たちに備わっている優しさや心の広さには勝てないんだもの。

私にも他人に向けられる優しさと呼ばれる感情があるとしたら、それは見返りを求めているような、人や物に執着するような、そんな醜い感情のような気がして。気がするというより、きっとその通りで。

親にもらえなかった愛情を他人に求めるなよ、と。
私自身がいちばん思っているよ。
その穴は何でも埋められないって知っているはずなのに、なかなか心が理解してくれない。頭では分かっているのにね。




春、まだまだ続く。
というよりこれからが本番。

春が好きな人、ごめんなさい。
私はさっさと過ぎ去って欲しいです。すごくこわいから。

この気持ちも、いつの間にか"生ぬるい"と感じるようになってしまった風と一緒にどこかへ飛んでいって、もう二度と私の元へ帰ってこないで欲しいな、って。


好きだった春(2013) / iPhone5



/ 2,260文字



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