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昔はそれでもよかった話

貫一は、思ったよりも、お宮を蹴っていなかった。後ろを向いて、片足をひょい、と上げているだけだった。力の入り具合で言うと、急いでいるときに、脱ごうとしたスリッパが脱げなかったから、足を振って脱ごうとしている、くらいのキックだ。イメージしていたのは、コーナーに追い詰めた相手を徹底的にぶちのめすときの長州力の、火を噴くようなストンピングだった。
私がそういうイメージを持ったのは、お宮のせいだ。吹っ飛ぶような一撃を食らって、横ざまに倒れて、ダメージの大きさから立ち上がれなくて、上半身だけ起こし、片手をあげて、顔をかばいつつ、許しを請うている、ように見える。まるで、追い詰められた時の、リック・フレアーのようだ。もしかすると、今、後ろを向いて油断している貫一は、この後、豹変したお宮に、凶器攻撃をくらうのかもしれない。
熱海といえば、寛一お宮だ。この銅像は、有名なのでアレだけど、何の予備知識もない場合、この銅像は、
「男の人が女の人を下駄で蹴り倒した銅像」
もしくは、
「倒れた女の人を男の人が上から下駄で蹴っている銅像」
ということになる。今のところ、大丈夫のようだけど、男尊女卑の象徴だから撤去しろ、と、騒ぎ出す人が、数分後に現れてもおかしくない。なにしろ、下駄ばきだ。下駄で蹴られると、痛い。
いや違う。物事には事情というものがある。この銅像のようなことになっちゃったのには、それ相応の事情があるはずだ。そこを鑑みないで、状況から結論を急いではいけない。そういう人もいるかもしれない。では、こんなになっちゃった過程を、補足説明として追加すると、どうなるかというと、
「自分を見切って、金持ちと結婚した彼女にキレた彼氏が、彼女にケリをぶち込んだ瞬間の銅像」
ということになる。銅像の横に、そう書いてあった。男尊女卑の意味合いは、ちょっとトーンダウンするけど、どっちにしろ、共感できる状況ではない。ちなみに、お宮は、ダイヤモンドの指輪に目がくらんだらしいッス。女の人に下駄ばきでケリをぶち込む貫一も貫一だけど、ダイヤモンドの指輪もらって、サクッと貫一を切るお宮もお宮だ。全体的に、簡単に言うと、
「いろいろとダメな感じの二人が、もめてケンカした時の銅像」
ということになる。勝手にしろ、と、言いたくなる。
でも、当時、新聞に連載されていた金色夜叉は、大変な人気だったという。このシーンは、クライマックスの一つらしいけど、当時の皆さんは、どっちにどうやって感情移入していたんだろうか。仮に、現代のテレビドラマで、金目のものに引っ張られて自分を見切った彼女に、主人公の男がケリをぶち込むシーンがあったら、と想像すると、いくら彼女も悪いとはいえ、うーん、やっぱり、ちょっとした騒ぎになりそうな気がする。暴力反対。男尊女卑反対。
ここで思い出したのは、木綿のハンカチーフ、という曲だ。筒井京平さんが亡くなられたときに、ギター教室の先生が、練習課題として、この曲を持ってきた。先生は、私より年上の男性で、この曲がドンピシャの世代だ。私は、かねてから、この歌の歌詞が、気になっていた。知らない人のために、ごく簡単に説明すると、就職して都会に行った男が、田舎の彼女を一方的に切る、という内容だ。それだけ。救いも何もない。そこで、先生に聞いてみた。
「この歌、歌詞が最低ですよね」
「ええ、最低です」
先生の返事は、早かった。でも、先生曰く、流行っていた当時は、何とも思わなかったらしい。先生は、昔ですから、の一言で、片付けてしまった。
昔かあ。

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