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とんちで切り抜けろ

久能山東照宮は、去年行った日光東照宮と比べると、とても控えめな場所だった。大きさは、有名な神社ぐらいで、一通り見て回るだけなら、三十分もあれば十分だった。日曜日でも、観光客は多くなかった。
四月中旬の久能山東照宮は八重桜が見ごろで、朱色の建物と桜の景色がきれいだった。海外観光客向けの日本のツアーのポスターになりそうなくらい、日本らしい景色だった。流れ作業のように歩き続ける日光東照宮では、景色を愛でる気分にはなれなかった。
境内には、抹茶を楽しめるところもあった。後から作った喫茶店ではなく、もともと境内にある建物の一つで、中は、何もない畳敷きの広間になっていた。適当なところに座って、抹茶と落雁をいただいた。他のお客さんは、二人だけだった。広間は、静かで、ゆったりしていた。各種グッズの売り込みに熱心だった日光東照宮とは、ずいぶん違った。
久能山東照宮に向かうロープウェイの中で聞いた案内によると、徳川家康の最初の墓は、久能山東照宮で、のちに、家光が、日光東照宮を作って、家康公の墓を移動した、とのことだった。
おお、家光くん。
私の知っている、徳川家光は、
「俺のより、イケてる墓を作るな」
という、家康の遺言を律義に守って、ド派手な日光東照宮の、わざわざ真横に、日光東照宮よりイケてない大猷院を作った、という、何したいのかよくわからない謎の人物だ。でも、その変に律義なところが嫌いではないので、親愛を込めて、家光くん、と呼んでいる。
この、極端なバイアスがかかった家光くんの謎が、久能山東照宮に向かうロープウェイの中で解けた。家光くんってば、自分の墓をイケイケにしたかったから、まずは、家康の墓を超イケイケな日光東照宮にアップグレードしてから、それより控えめで、思い通りにイケている大猷院を作ったんだね。家康的には、いや間違ってないけどさ、そういうのはちょっとどうかな、という感じだろう。実際、大猷院は、久能山東照宮よりは、ずいぶんと派手だ。でも、観光客は、久能山の方が多かった。大猷院は、隣に日光東照宮があるからねえ。
極端にバイアスがかかっていた私の中の家光像は、ゲスな推測が加わって、以前よりも、角度をつけて、斜め上に走っていった気がする。でも、どんな手段を使っても、約束だけは守ろうとする家光くんが、さらに好きになったので、修正しない。
それに、大猷院は、いいところだ。建物は豪華で美しく、全体的にコンパクトに収まっている。それに、人も少ないので、静かだ。あんなに立派なのに観光客が少ないのは、逆に奇跡なのかもしれない。
それに加えて、烏摩勒伽様の龍神破魔矢のご加護の下で、ツーリングを行う私にとって、大猷院は、これ以上ない特別な場所だ。
当然、今回のツーリングも、バックパックに龍神破魔矢を携えております。

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