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パワースポットがわからない

斎場御嶽は、沖縄でもトップクラスのパワースポットとされている。太古の昔から、神聖な場所として扱われている、由緒正しき場所だ。入場するときにも、ちょっとした説明を聞いてからじゃないと入れない。気安く立ち入って、場を乱すことがあってはならない、という雰囲気があった。これは、相当なパワースポットなのだろう。
でもね、わからないんだ。パワーって、何?
ツーリング中は、いろんなところでパワースポットに行きますが、正直に申しまして、パワーというものを感じたことがございません。これだとちょっとまずいんじゃないか、というくらい、ちっとも感じない。
神社に行けば、厳かな雰囲気で、普通の場所とは違う、というのは、感じる。斎場御嶽にも、そういう空気はあった。祭壇とされている平らな石には、近づきにくい空気があった。でも、それは、場所のパワーじゃなくて、歴史だろう。遠い昔から今まで、長きにわたり、神聖なものとして扱われてきたものを不用意に汚してはいけない、という緊張感だ。それをパワーと呼ぶなら、うちの近所のうなぎ屋の、先代から受け継いできたウナギのたれは、きっと、パワースポットだ。
パワーってのは、霊感みたいに、感じる人と、感じない人が、いるのだろうか。わかる人が来ると、おおこれはすごいパワーだ、となるのか。そういう人が、あちこちの、観光地や、景色の良いところに行っては、パワーがある、とか、ない、とか言うのか。それをもって、各地にパワースポットが誕生するのか。
私は、間違いなく、感じないタイプだ。時々、パワースポットで、両手を上に上げて、全身にパワーを浴びている人を見かける。アレ、私には、見ているこっちが恥ずかしくなるくらいに、間抜けに見える。でも、あれも、わかる人が見れば、おお浴びてるねー、確かにこれくらいパワーがあふれていたら、浴びない手はないよね、となって、浴びずに通り過ぎる私の方が、間抜けに見えるのか。となると、パワーを感じない人は、ご利益も少なめなのか。だいたい、パワーを浴びると、どのようなご利益があるのか。
こんなふうに、パワースポットに対して、やや偏った見解を持つ私だけれど、改めて考えると、斎場御嶽には、もしかしたら、パワーがあるのかもしれない、と思うことがあった。斎場御嶽は山の中にあるので、観光のための遊歩道は、林の中を歩くことになった。その林の景色が、とてもきれいで、優しく感じた。おそらく、人の手はそれほど入っていないはずなのに、なぜか整っていて、全体的に、うっすらと光っているような気さえした。植物が元気、という以上の、何かがあふれている感じがあった。

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