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チューチュー

さっきから、栄町市場の中で、迷子になっている。
栄町市場は、適当な広場に、適当に屋台を建てたら、その隙間が狭い路地になった、というような場所だった。十字路はほとんどなくて、T字路ばかりだった。こういうところでは、グーグルマップも役に立たなかった。
路地の両側に、小さな飲み屋が立ち並んでいた。路地を、突き当りまで歩いた。右を見た。左を見た。どっちを見ても、さっきと同じような、小さな飲み屋が並んでいた。適当に、左に曲がった。突き当りまで歩いた。今度は、適当に、右に曲がった。そこにも、同じような景色があった。
外国というか、映画のセットというか、そんな雰囲気だった。普段は、なかなか見られない光景で、歩き回るのは、楽しかった。でも、いつまでたっても、目的の店は見つからなかった。どっちに行っても、同じような小さな飲み屋ばかりの、映画のセットのようなところを歩き回っていると、閉じた空間に迷いこんで、同じところをぐるぐる回っている、という、映画でよく見るシーンに自分が入り込んだ気がした。どの店も、扉が開けっぱなしか、路地にテーブルを並べていた。歩いていると、お客さんが飲んでいる姿がよく見えた。楽しそうだった。目的の店に着かないのは困るけど、店はどれも一緒に見えた。適当にその辺の店に入っても、一緒のような気がした。
目当ての店を探しつつ、適当に飛び込んでもよさそうな店も、探し始めた。この路地は、ホントにさっきも通ったんじゃないか、と、思いながら歩いて、店を通り過ぎてから、目当ての店を見つけたことに、気が付いた。
おかずの店便利屋ウリンロンは、餃子や小籠包などの点心がおいしい店、とマップルに書いてあった。小さな厨房の建物の前に、路地に面した小さなカウンターと、その隣には、外に置かれたテーブルがいくつかあった。人気の店なので、土曜日の夕方は席が空いていない、と覚悟していたら、たまたま、カウンターの席が一つ空いていた。コロナ対策のパーティションで区切られた小さなカウンターは、一人分がA4のコピー用紙4枚分くらいの広さだった。座ると、店員さんがすぐに来て、注文を記入する用紙をくれた。焼き餃子一つ、小籠包一つ、と書き込んだあとで、げんこつ、という欄を見つけた。げんこつは食べられるのか、と店員さんに聞いた。あと一つだけ残っている、と教えてくれた。げんこつは、週末だけの限定メニューで、数に限りがあって、人気のメニューなので、もう売り切れていると思っていた。運が良かった。
げんこつは、ぶった切った豚の手首のところを煮込んだもので、正式な名前は、げんこつチューチュー、という。チューチュー、というのは、吸う音だ。骨ごとぶった切った豚の手首の、その骨の骨髄が、トロトロに煮えたのを、ストローでチューチュー吸う。
太い骨の真ん中に開いた大きな穴に、ストローが突き刺さっている姿は、なかなかインパクトの強いビジュアルだった。ストローが突き刺さっている骨の穴の部分は、煮込んだ肉が詰まっているみたいに見えた。チューチューと吸えるようには見えなかった。ストローでかき混ぜると、穴の表面の膜が取れた。液状の、骨髄が見えた。小さなストローで、チューチュー吸った。ゼラチン状になった骨髄が、口の中に飛び込んできた。濃厚な味がした。
骨の周りの肉も、トロトロに煮えていて、おいしそうだった。こっちはチューチューできないので、しゃぶりついた。げんこつチューチューは、骨にストローが刺さっているけど、食器として、ビニール手袋もついてきた。
食べるための食器が、ストローと、ビニール手袋、だなんて、変わっているけど、これが、この料理を食べるときに、一番使いやすい食器だ、というのは、よくわかった。とにかく、こんな行儀の悪い食べ方をする食べ物が、まずいわけがない。大変おいしくいただきました。

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