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幸せの尺度

米沢のホテルを早朝に出発して、R13で北に向かうと、濃い霧に包まれた。R13は、まっすぐで平らな道なので、霧で数メートル先しか見えない中を走っていると、自分が動いているのか、止まっているのか、よくわからなくなった。見える景色が何も変わらないままバイクにまたがっていると、ときどき、急に信号が現れて、少し驚いた。
熊野神社に着くころには、霧はほとんど晴れていた。凝った造形の狛犬の前を通って、長い石の階段を上がると、そこに本殿があった。茅葺屋根の、大きな本殿は、ずっしりとした重厚感があって、ほれぼれするほど格好良かった。冷たい朝の空気の中で、薄く霧がかかった中にたたずむその姿は、神秘的で、神々しかった。熊野神社の周りは、学校が近くにあるくらいの普通の住宅街なのに、長い石の階段を上がると、そこに、深い山奥の秘密の場所にある古代遺跡のような本殿があるのは、不思議な感じがした。
参拝して、本殿の裏に回った。本殿の裏には、凝った彫刻が施されていた。その中には、三匹のウサギが隠れていて、それを全部見つけると願い事がかなう、とマップルに書いてあった。本殿の裏にも、同じことを書いた看板があった。自分なりにベストを尽くしたつもりだけど、一匹も見つけられなかった。
本殿の裏には、他にもいくつか仕掛けがあった。そのうちの一つに、しかるべき時に鳳凰の彫刻を見ると、瞳に日の光がぴったりと重なる、というものがあった。それを見られると、幸せになれる、と、看板に書いてあった。
幸せになれるのか。それは、いい。
願いが叶うって言ったのに叶わない、とか、健康になるって言ったのに風邪ひいた、とか、契約とか薬みたいに、効果の有無を判定するような御利益とは、一味違う。あなたはこれから幸せになれる、と言われるだけで、未来がとても明るくなるような気がする。それに、幸せになれるって言ったのに幸せじゃない、と言うと、今の自分が幸せじゃない、と言い切ることになる。それは、なんだか悲しい。いろいろあるけど、ささやかかも知れないけれど、幸せだ。そう言いたい。だから、光り輝く鳳凰の目を見て、数日後、あなたは幸せですか、と聞かれたら、幸せになれるのは、間違いない。

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