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自分のスペック

わんこそばに一人で行って楽しいのか、と聞かれたら、娯楽として、そばの大食いにチャレンジするつもりはない、という返事になる。ただ、わんこそばを何杯食べられたか、というのを、自分を語るための数字の一つとして、知っておきたいだけだった。TOEICの点数とか、そういうのに似ている。チャレンジというより、検査に近かった。
盛岡のホテルに着いて、電話で確認してから、わんこそばで有名な、東屋に行った。
席に着くと、最初に、どっちのわんこそばにしますか、と聞かれた。わんこそばは、値段が二種類あった。高い方は、食べたお椀を積み上げる。安い方は、食べたお椀を片付ける。料理の内容は、同じ。食べたお椀を誇示できるどうかで値段が変わる、という点に、わんこそばの、伝統のフードファイトとしての側面を見た。片付けちゃったらつまらないから、高い方を注文した。
最初に、鶏そぼろや、なめこや、大根おろし、といった、いろんなトッピングと、刺身が三切れ出てきた。それから、お世話の人が、1人ついてくれた。
わんこそばは初めてです、というと、簡単な説明をしてくれた。食べるときの作法などの説明があって、わんこそばは、15杯で普通のそば一枚分、と教えてくれた。最後に、東屋では、100杯以上食べた人に、記念の木の手形をくれる、と教えてくれた。それを聞いて、いや100杯はないでしょ、とヘラヘラ笑った。
いや私もね、若かったときはね、食べましたよ。焼き肉なんかは、食べ放題飲み放題でないともったいない、なんてね、言っていましたけど、近頃はねえー、焼き肉食べ放題は量が食べられないからもったいない、とか言っちゃって、ええ、食が細くなってのもアレですが、食べすぎた後の回復も遅くて、次の日もつらくてねー。そういうわけですから、100杯とか、そういう派手なのは、若い人たちで楽しんでもらって、私は、履歴書の、「わんこそば」の欄に○○杯、と書くために、今日はここに来ただけですから、ええ。
心の中で、誰に対してかわからない言い訳をしてから、箸を手に取った。
それでは、スタート。
わんこそばは、温かかった。つゆが少しかかっていて、のど越しも良かった。一杯が一口分なので、つるっと入った。ほとんど噛まずに飲み込んだ。これは長い戦いになる、一歩一歩の積み重ねが大事だ、と直感的にわかった。まずは、一定のリズムをキープして、テンポよく進めることに集中した。感覚は、長距離走に近かった。世話係の人はさすがで、うまくリードしてくれた。はいどんどんー、はいじゃんじゃんー、という掛け声で、リズムに乗せてくれた。最初は、何も考えずに、ストイックに、そばを口に運んだ。わんこそばは15杯で普通のそば1枚分なので、そばの補充は、15杯ごとに行われた。2回目の補充のあたりで、コツのようなものをつかんだ。同時に、あることに気が付いた。
わんこそばは、うまい。
そばとして、普通においしかった。話題の中心は、何杯食べられるか、なので、そば自体は、食量測定器具、みたいな立ち位置になってしまっている。好物は、わんこそばです、という人は、あまりいないだろう。でも、わんこそばは、道具ではなくて、食べ物だ。味があって、そこに価値がある。そして、実際、おいしい。
そのことに気が付いてからは、積極的に、薬味を使うようにした。食べ始める前、テーブルの上に、薬味各種が並べられるのを見たときは、こんなもの食べたら、その分、そばが入るスペースが減るのに、何に使うんだ、と思った。そういうことではなかった。薬味は、おいしいそばを、もっとおいしくするためにあった。
そうやって、つるつるとそばを食べていると、何事もなく60杯を越えた。苦しい感じもなかった。これは、ひょっとしたら、100杯イケるんじゃないか。そう思った。わんこそばは、食べ進めると、だんだん腹がきつくなって、胃袋が水風船みたいにパンパンになって、息をするのもしんどい、となりながら、あと一杯、どうかな、あー、やっぱりもうだめ、となって、終わりになる、と想像していた。今の調子なら、そうなるまで、まだまだ食べられそうだった。
実際は、ちょっと違った。限界は、急にやってきた。75杯目。
それまで、ほとんど噛まずに飲み込めば、スルッと胃袋に入っていたそばが、75杯目を飲み込んだ後、胃袋の手前で止まった。単純に、袋に物を詰め込もうとしたら、満タンで入らなかった、という感じだった。あれ、と思うと同時に、閉じている袋の口を不用意に開くと、中身が出てきてしまうのがわかった。ここで、リズムを崩さずにテンポよくやってきた手を、初めて止めた。正直、今、飲み込んだ75杯目が、この先どうなるか、わからなかった。じっと待った。試験の結果が出るのを待つ気分だった。75杯目は、無事に胃袋に収まった。とりあえず、戻ってくることはなさそうだ。
今のは、危なかった。
あのまま、無理して次の一杯を飲み込んでいたら、おそらく、大変な騒ぎになっていただろう。ひとたび逆流が始まれば、きっと、胃袋の形が、わんこそばを食べ始める前に戻るまで、逆流が続くのは、間違いない。わんこそばの歴史の中では、そういう惨劇も頻繁に発生しているような気がした。実際は、どうなんだろう。
様子を見ながら、もう一杯食べてみた。今度は、喉が素直に開かなかった。口に入れたそばを、さっきまでと同じように飲み込もうとしても、入っていかなかった。三回噛んで、少しずつ嚥下した。少し待った。胃袋の手前で止まる感じはなかった。まだいけるみたいだった。でも、先はそんなに長くないのがわかった。ちょっときつくなってきました、と世話役の人に言った。世話係の人は、そうですか?100杯行けそうですよ、と励ましてくれた。
変化が現れたのは、食べるペースだけじゃなかった。そばの味も変わった。さっきまで、おいしかったはずのそばが、全然おいしくなかった。モグモグとそばを噛んでも、味がしなかった。粘土を噛んでいるみたいだった。さっきまで飲んでいたので、噛むこと自体が面倒だった。歯ごたえも、柔らかくて気持ち悪かった。額には、うっすらと、よくない感じの変な汗が浮いていた。一杯食べるたびに、75杯目の、大惨事の予兆の恐怖が頭をよぎった。一杯片付けるたびに、まだいけるか、と自分に問いかけ続けた。
簡単に言うと、全然楽しくなかった。俺は、何をしているんだろう。空いたお椀を置く音が、カチャ、と鳴った。ふと我に返った。目の前に、90杯の、空いたお椀が積み重なっていた。世話係の人が、新しい15杯を取りに行った。
あと10杯。
わんこそばは、1枚分のそばを茹でてから、15杯に分けているらしかった。一杯当たりのそばの量は、やけに少なかったり、たっぷり入っていたり、と、かなり幅があった。100杯食べるということは、5杯残してもいい、ということだ。願うことは、ただ一つ。少ないのが、続きますように。新しい15杯がやってきた。
91杯目のそばを、口に入れる。92杯目のそばが、空いたお椀に入る。口の中のそばを噛む。落ち着いて、ゆっくりと飲み込む。92杯目のそばを口に入れる。93杯目のそばをもらう。噛む。ゆっくり飲み込む。口に入れる。そばをもらう。噛む。飲み込む。口に入れる。そばをもらう。噛む。飲み込む。ぱく。ちゃぽん。もぐもぐ。ごくん。ぱく。ちゃぽん。もぐもぐ。ごくん。ぱく。ちゃぽん。もぐもぐ。ごくん。ぱく。ちゃぽん。もぐもぐ。ごくん。ぱく。ちゃぽん。
手元の茶碗に、100杯目の、そばが入った。
手を止めて、確認した。
これを食べれば、記念の手形が、もらえるのですか?
返事はイエスだった。もういいだろう。俺には、もう、戦う理由が、ない。
100杯目を食べる前に、これで終わりにします、と宣言した。世話係の人は、もっと戦える、とは言わなかった。はーい、と軽い返事を残して、デザートを取りに行った。
がんばれば、もう少し、入ったと思う。でもね、つらいだけで、楽しくないんだ。気を緩めると、膨らんだ風船から空気が抜けるみたいに中身が飛び出す恐怖と背中合わせで戦い続けるには、理由が必要だ。
世話係の人が、デザートと一緒に100という数字が書かれた、木の手形を持ってきてくれた。
戦い抜いた証を手に取って、立ち上がれるか?と、自分に問いかけた。
 
私は、わんこそばを、100杯食べたことがあります。

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