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来てもいい、と、来てほしい

名護を出て、沖縄の東側の道を南に向かった。
まずは、浜比嘉島のアマミチューの墓に行く予定だった。浜比嘉島では、そのあと、シルミチューにも行く予定だった。どちらも、沖縄の神話に関係していて、どっちも、パワースポットという扱いになっていた。それはどういうことかというと、たぶん、そこには、何もない、ということだ。パワースポット、という言葉を発明した人は、天才だ。この言葉のおかげで増えた観光地は、どれくらいあるのだろうか。
予想通り、アマミチューも、シルミチューも、おとなしい観光地だった。浜比嘉島には、途中、小さな道案内の看板が、ところどころに立っていた。地元の皆さんの、せっかくの観光資源を有効活用しよう、という姿勢は、あまり感じられなかった。どちらかというと、突然、パワースポットに認定されて、観光客が増えたことに戸惑いながらも、せっかく来てくれるのだから道案内くらいはしてあげないと、という、もてなしの心を感じた。
実際、アマミチューからシルミチューに向かう道は、民家の中の細い道だった。地元の人の敷地をちょっと通らせてもらうような感覚だった。灰色の背の低い家が立ち並ぶ細い道から見えたのは、いかにも沖縄らしい景色だった。景色としては、アマミチューよりも、この細い道の方が見応えがあった。
ところで、私のような観光客が、こんなところを通るのは、地元の人にとって、どうなのだろう。あまり、良いことはなさそうな気がする。マップルに載っているから、というだけで、パワースポットにも興味ないのに観光しに来て何言ってんだ、という話だけれど、パワースポット、と誰かが勝手に言っただけで、暮らしが変わってしまう人たちがいることを、パワースポットを発明したビジネスマンは、想定していたのだろうか。
複雑な気分で浜比嘉大橋を渡って、果報バンダに向かった。
果報バンダは、ぬちまーす、という、高級なブランド物の塩を作る工場の敷地内にあった。こっちは、アマミチューやシルミチューと違って、観光客大歓迎だった。大きな駐車場があって、敷地内のパンフレットもあって、パンフレットには、この敷地内には、果報バンダ以外にも、各種パワースポットがある、と書いてあった。各種パワースポットは、ちょっとした穴だったり、石だったり、方角だったり、簡単にまとめると、何でもなかった。パワースポットの、正しいビジネスへの活用だ。ビジネスなので、駐車場の隣の施設には、お土産屋があって、ぬちまーすの塩を売っていた。工場見学もやっていた。工場見学では、とても長い時間をかけて、ぬちまーすという塩の素晴らしさについて、丁寧に説明していた。まるでテレビショッピングを見ているようだったので、工場見学は、途中でやめた。
それはそれとして、果報バンダは、素晴らしい景色だった。眼下に広がる海の透明度と、崖に囲まれた小さな砂浜、その向こうに続く海岸線の景色は、誰にも作れない作り物のようだった。小さな砂浜は、もし、たどり着くことができたら、完璧なプライベートビーチになると思うけど、そういうビジネスは、やってなかったし、やってほしくなかった。
そんな素敵な果報バンダには、やや大きめの説明の看板が立っていた。そこには、果報バンダ、という名前は、ぬちまーすの取引先の社長さんがつけた名前だ、と書いてあった。

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