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もう少しと、もう十分

それにしても、美ら海水族館の大水槽は、いくらでも見ていられた。大きな深い水槽の、透明な水の中で回遊する魚たちは、空を飛んでいるみたいだった。ジンベイザメも、マンタも、とどまることなく泳ぎ続けて、水槽の中の景色は、常に変わり続けた。何も考えずに、ずっと眺めていられた。一日中ここにいなさい、と言われても、全然大丈夫だった。一週間くらいイケる気がした。
時間が無限にあれば、そういうこともできる。でも、時間には、限りがある。この後も、沖縄のあっちこっちをフラフラする予定になっていた。残りの毎日を、全部ここに来て、沖縄では一週間、美ら海水族館にいました、というわけには、いかなかった。そういうのもいいなあ、と思った。でも、他のところにも行きたかった。
そうなったら、大水槽は、どれくらい見ればいいのか。
15分くらいあれば、何とかなりそうな気がする。
さっき、一週間と言っていたのに、15分ってなんだ。だいたい、何とかなりそう、ってなんだ。
んー、なんだろう、それはねー、えー、あれだ、自分の中で、美ら海水族館の大水槽をちゃんと見た、と納得するのに必要な時間、ってことだ。経験として成立する、というか、美ら海水族館に行きました、と堂々と言えるというか。
なんだか、せこい話だ。
でも、どこに行って、何を観光しても、必ず、同じことになる。予定というものを立てるからには、観光する時間に、終わりは来る。わりと、すぐに来る。今日は、美ら海水族館は、2時間の予定だ。大水槽の前で、時計を見た。
ツーリングの間は、ずっと、これを繰り返している。寄せては返す波の音を聞きながら、眼下に広がる山の上に落ちる雲の影が流れるのを目で追いながら、絶えず流れ落ちる滝を見上げて、時々、時計を見る。そして、そろそろ行くか、と自分を納得させる。次の目的地に向かって足を踏み出す時に、もう少し、と思うときもある。それでも、次の予定がある。
旅はもっと自由に、気ままに、目的地も決めずに、と思わなくもないけれど、それは、すごく難しい。勘とか、経験とか、そういうのがそろってないと、うまくできないものだと思う。実際、できる気がしない。だから、やらない。ツーリングを、もっと長く続けていれば、そのうち、いくらかは、できるようになるかもしれないけれど、今はできない。
開館と同時に入館した時は静かだった水族館も、観光客が増えてきた。遠足の子供たちの声が、にぎやかだった。
さあ、そろそろ行くか。

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