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順番

40~50分かかる、と言われていた見晴台には、30分くらいで着いた。息もほとんど乱れていなかった。坂道を上手に登れるようになった自分に満足した。最後の大きな岩をよじ登って、眼下の景色を見下ろした。期待通りの、見事な景色だった。左側に、壁のような岩山があった。真ん中には、塔のような岩が立っていた。どこを見ても、どこか違う世界の景色のように見えた。美しい、というのとはちょっと違う、怖さが少しあって、冒険心がざわざわするような、そんな景色だった。
誰もいない岩の上で、そんな景色を見ていたら、さっきから声だけ聞こえていた騒がしい集団がやってきた。20代前半くらいの5人組だった。肩で息をしながら、ここまでの道のりがいかにつらかったかを、大きな声で言いあっていた。ここは、神社の中だ。そして、息をのむような景色がそこにある。この状況で、大きな声を張り上げる神経が理解できなかった。だいたい、そんなに疲れているなら黙ってろ。
彼らのことは、まったく気に入らなかったけれど、景色が見える岩の上は狭かった。こういうのは順番だ。岩から降りて、場所を譲った。どのみち、うるさいのが気になって、景色が楽しめなかった。たぶん、彼らは、景色にはすぐに飽きてしまうだろう。あいつらがどこかに行ってから、改めて景色を見ればいい。
5人組が岩に上った。2人は景色を見て、3人は景色に背中を向けて岩の上に座り込んだ。そのうちの1人は、岩の上の小さな社の賽銭を盗んだらけっこう儲かる、とか、今日は疲れたからここに泊まる、とか、引き続き、うるさかった。数分後、景色を見ていた2人も、後ろを振り向いて、座っている3人としゃべりだした。景色にすぐに飽きるだろう、というのは、正解だった。そのまま、景色が見える岩の上に居残るのは、予想していなかった。景色見ないなら、どっか行け。
5人の会話は、盛り上がっているようには聞こえなかった。それでも、景色の見える岩の上から動く様子もなかった。どうやら、ここまでの道が、今頃になって応えているようで、ただ単に動きたくないから、無理やり会話をつないでいるらしかった。休憩するなら、別の場所でやれよ。
5人のうち1人は、特に疲れているようで、会話にも加わらず、地面の一点を見つめて、じっとしていた。顔色も、少し変だった。ペースも考えずに、調子に乗ってガシガシ登るから、そんなことになるんだよ。
坂道を調子に乗って登ると、後になって、信じられないくらいに息が切れる。2年前に、釜臥山の展望台の階段を上ったときに、そうなった。膝に手をついて、肩で息をして、しばらく顔を上げられなかった。それをきっかけに、坂道の登り方を見直すことになった。
以前は私もあんなふうだった。そう思ったら、岩の上に座っている、まったく気に入らない5人組が、大学のころの自分と重なって見えた。
きっと、昔は俺もあんなふうだった。
大学の時に中の良かった友達は5人組ではなかったので、どれが誰、とは言えないけれど、当時の自分があの中にいるとしたら、疲れて動けないくせに口だけ元気なアイツだろう。私は、昔の自分が好きじゃない。今は、他の人とツーリングに行くのは、誘われても躊躇するくらいだけど、当時は、自分から友達を誘って、ツーリングに行くことも多かった。友達と遊んで、意味もなくはしゃいで、大きな声でうるさく騒いで、何にも知らないのに何でも知っているつもりで、自分勝手で、周りに迷惑をかけているのに、間違っているのは周りの方だ、と偉そうにしていた。あのくらいの歳だと、そんなもんだ。
こういうのも、順番だ。今の自分に回ってきたのは、あれはそういうものだから仕方がない、と受け入れる順番だ。
どうにも会話が続かなくなった5人は、やっと腰を上げて、静かに下りていった。順番が、もう一度、回ってきたので、岩の上に上って景色を眺めた。

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