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ツーリング中に雨が降る件について

兵庫から北に向かうR427は、地図で見ると、何もない道だった。実際に走ってみると、素敵に何もない道だった。ツーリングが楽しい、と感じるのは、こういう道を走っているときだ。
おそらく、理想のツーリングとは、計画も立てずにアテもなく走って、地図を見たり、直感を信じたりしながら、気持ちのよさそうな道を気ままにたどって、少し疲れたら、たまたま目にした景色のいいところで休憩する、というものなのだろう。ツーリングをする人の中には、そういう雰囲気を、強く押し出している人も、けっこう見かける。
しかし、しがない普通のサラリーマンの私は、少ない休日を最大限に有効活用すべく、各地の観光地にタッチ&ゴーするために、普段の業務で培ったスキルも総動員して、高効率で無駄のないルートの作成に取り組み、絶妙なバランスのルートができたことに満足して、ツーリング中には、それを必死でたどる、という、ほぼ正反対のツーリングをしている。こうやって、言葉にしてみると、自分でも、不思議に思う。
俺よ、そのツーリングは、楽しいのか?
ハイ!楽しいです!
思った以上に、大きな声で、ハキハキとした返事が出てきて、自分でも驚いた。どうやら、今の自分は、行ったことのないところに一人でツーリングに行くだけで、十分、気ままにやれているらしい。計画も立てずに走り出したりなんかしたら、不安だらけで、すぐに疲れてしまって、たぶん、全然楽しめない。
さて、そんな私ですが、2年ほど前からでしょうか、身の回りの方々から、ツーリングに行くと、必ず大雨が降る男、という評価をいただいております。まるで、雨男だと言わんばかりの、その評価は、まったくもって不本意ではあるけれど、全然否定できない。だって、雨が降るんだもん。自分でも、きっとそういうことなんだろう、と、ようやく現実を受け入れつつあった。意識して受け入れたわけではないけれど、結果的に、そうなってしまっていた。
そのことに気が付いたのは、先日、以前に書き散らかしたツーレポを整理していた時だった。4年前のツーレポに、出発する前に外を見たら雨が降りそうだったので、ツーリングに行くかやめるか躊躇する、というシーンが書いてあった。それに対して、今回のツーリングは、出発する日の朝まで、週間天気予報では、毎日、雨だった。傘のマークの隣に、雷のマークがついている日もあった。ツーリングに行く前の週の、友人との会話は、こんな感じだ。
「来週、バイクでツーリング、って、言ってたっけ?」
「うん」
「ずっと雨だよ」
「知ってる」
「行くの?」
「ん?」
「いや、さっきツーリングに行くって言ったから」
「行くよ」
「えっ?」
「あれ?」
雨が降るから、と言って、ツーリングをやめていたのでは、いつまでたってもツーリングに行けない。だって、雨男なんだもん。
4年前の夏、家の窓から外を見て、雨が降りそうだ、と躊躇していた私には、躊躇する、という選択肢があった。今の私には、それがなかった。雨男がバイクツーリングを趣味とした場合、雨でも走る、しか、選択肢が残らない。すると、雨だから走らない、という選択肢は、自然に消滅するらしい。消滅するまでの期間は、およそ2~3年、と、推測されます。
そんな私なのに、今回のツーリングでは、まだ雨に降られていない。昨晩、一緒に食事をしたH君には、この天気予報で雨が降らないとは、超晴男、と言われた。H君は、二十年ぶりに会ったからなあ、今の私のことを、知らないんだ。H君、昨日、一日中晴れていたのは、きっと、君のおかげだ。
その証拠に、ほら、見てごらんよ。素敵に何もないR427を気ままに走る僕の行く先の空が、水を張ったバケツに墨汁を垂らしたやうに、みるみる黒くなっていくではないか。さっきから、不定期に聞こえる、低く鳴り響く音は、きっと雷だらう。私といふ、一個の生命体には、望まない時に、雨雲を引き寄せる何かがあるやうだ。いや、そもそも、一人の人間に、天気を左右する力がある、などと考えるのが間違いかも知れぬ。向こうの空の黒い雨雲は、お前が勝手にこっちに近づいてくるのだ、と言うだらう。さて、雨が降る前に、雨合羽を着やう。
レインウェアのパンツに足を通したら、シートの上に、大粒の雨がボタボタと落ちてきた。
夏の雨の降り始めに特有の湿った匂いを嗅ぎながら、大粒の雨が落ちる道を走り出した。数分後には、体に当たる雨粒が、水圧として感じられるような強い雨が降るはずだった。それは、いつものことだった。強い雨は、そんなに長くは続かない。今のうちに、気が済むまでザバザバと降って、次の観光地の立雲峡に着くころに小降りになってくれれば、それでいい。雨男のツーリングとは、そういうものだ。そんな控えめな希望とともに走っていたら、数分後、雨は、降りやんだ。
おや、どうしたことだらう。
道路の表面は、空が映り込むくらいに水浸しなのに、雨は、小降りどころか、止んでいた。どうやら、局所的に強く降る雨に、ギリギリのところでぶつからなかったらしかった。
立雲峡に着いたら、雨が降った形跡すらなかった。
雨男って、自然治癒するのか?
いやいや、そんなことはあるまい。雨のやつ、こちらを油断させておいて、俺が立雲峡のてっぺんにたどり着いたら、とっておきの土砂降りを食らわせる寸法に違いあるまい。バイクに乗っておらぬ方が、雨の用心が甘くなる、と、知っておるのだ。俺とて、いつもいつも、やられてばかりではない。ヘルメットやジャケットは、バイクの上に積んで、その上から、こういうときのために持ってきた、ビニールシートをかけておくぞ。どうだ。これなら、不意の雨でも、ヘルメットやジャケットが濡れることはないぞ。
結局、立雲峡を観光している間も、雨は全然降らなかった。
雨男って、自然治癒するのか?

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