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鋸山の地獄を覗く

鋸山は、マップルで見ても、インターネットで調べても、どうやって観光すればいいのか、よくわからなかった。
一番の見どころは地獄覗きだ。それは、わかった。山頂からの景色もきれい、となっていた。日本寺には大仏があって、山の中腹には千五百羅漢をはじめとする石仏が多数、山頂には百尺観音もある。そういうのが、あちこちに散らばっていて、駐車場も何カ所かあって、入口もいくつかある。
とりあえず、全部見ることにした。東口駐車場から日本寺に入って、大仏を見て、千五百羅漢を見て、百尺観音を見て、地獄覗きを見て、最後に展望台、と、順番に歩くことにした。
 
東口駐車場には、4時前に着いた。
日本寺の受付には、日本屈指の愛想の悪いオッサンがいた。700円払うと、すごく嫌そうに、チケットと、地図を出した。その時に、地獄覗きまでは階段が700段あるから、拝観時間までにちゃんと戻ってこい、というようなことをボソボソと言った。聞き流して、中に入った。
雨が降っていたので、レインウェアは着ておくことにした。駐車場から、大仏のところまで、階段を上った。階段の段数を数えてみた。70段くらいあった。楽ではなかったけど、歩けなくはなかった。700段は、なんとかなりそうだった。
大仏を見て、売店でお守りを買った。それから、千五百羅漢に向かって、階段を上った。階段は、林の中を、不愛想に、上に向かって伸びていた。ビルの非常階段みたいに、事務的な階段だった。傾斜がきつくて、一段の高さが高かった。段数を数えるのは、途中でやめた。やめたというより、数える余裕がなくなった。息が上がった。汗が出てきた。レインウェアを脱いだ。上るペースを少し落とそうとした。できなかった。事務的に次々と現れる階段を見ると、上らないといけない気がした。周りの景色は、普通の雑木林で、観光している気分はしなかった。
千五百羅漢へ向かう分岐点に、たどり着いた。肩で息をしながら、受付でもらった地図を見た。ここで左に向かうと、千五百羅漢で、まっすぐ進むと、地獄覗きだった。地図を見ると、この分岐は、山頂までの階段の、真ん中より少し上くらいだった。まっすぐ地獄覗きに向かっても、ここまで来た分の、倍の階段を上ることになる。千五百羅漢を見に行くと、さらに遠回りをすることになる。上に続く階段を見た。左に向かう道を見た。雨は、ほとんど止んでいた。ここには、二度と来ない、と決めた。左に向かった。
左に向かうと、足場が悪くなった。雑木林の中の、滑りやすい岩の道を歩いた。その先に、下りの階段があった。なぜだ。なぜ、せっかく上ってきたのに、下らないといけないのか。腹が立った。引き返したくなった。ここには、もう二度と来ないから。仕方なく、階段を下りた。林の中の道は、見通しが悪かった。薄暗い中を進むと、道が分かれていた。看板はなかった。どっちの道も、50m先で行き止まりになりそうに見えた。地図を見た。よくわからなかった。上に向かっていそうな方に進んだ。下りの階段があった。なぜだ。腹が立った。仕方なく下りた。その先に、上りの階段があった。どういうことだ。せっかく上った階段を、下らせておいて、また上る。こんなバカな話があるか。俺は、ここを上ったら、もう二度と下らない。私は、これ以降、下りは受け付けません。階段を上った。階段の先には、地味な石像が一つあった。道は、そこで行き止まりになっていた。雨が、少し強くなった。引き返すには、今上ってきた階段を下って、今下ってきた階段を上らないといけなかった。もう、腹は立たなかった。
雑木林の中を、先に進んだ。途中で、何カ所か、石仏を見かけた。さらに先に進むと、山の岩壁がくぼんだ所に、ある程度まとまった数の小さな石仏が並んでいた。小さな看板に、何か書いてあった。千五百羅漢、とは、書いていなかった。石仏は、どれも、ぼんやりとした造形だった。四分の一くらいの石仏は、頭がもげていた。頭のもげた石仏、という言葉には、不気味な印象があるけれど、ここで見た石仏は、古くなって壊れた設備のようだった。頭のない石仏の、むき出しになった首の断面を見ると、頸椎に相当する部分に、茶色いサビが浮いていた。モルタルで石仏を成形する場合、頭部が重いため、経年劣化で最初に破損するのは首の部分であり、それに対しては、施工時に鉄筋で補強しても効果は少ない。一つ、勉強になった。
でもね、そんなのいらない。だいたい、千五百羅漢はどこにあるのか。ここまで歩いてきてしまって、いくつかパッとしない石仏を見てきたので、千五百羅漢には、もう、ほとんど何も期待していなかった。でも、ここまで歩いてきてしまったら、見ないで終わるわけにはいかなかった。千五百もあるのに、見つからないってどういうこと?羅漢のみんなはどこにいるの?遭難したような気になった。雨でふやけた地図を、しょんぼりと眺めた。
雑木林の中を、トボトボと歩いた。さらに、いくつかの石仏の前を通った。どれも、さっき見た、頭のもげた石仏群よりも、地味だった。嫌な予感がしたころに、雑木林が終わった。目の前には、上に向かって長く続く階段があった。ということは、そういうことだ。たぶん、あれが、千五百羅漢だ。あれを見るために、せっかく上った階段を下りて、また上って、下りて、ここに来てしまった。そして、目の前には、容赦なく、事務的に上に向かう階段があった。体力は、もうほとんど残ってなかった。気力でカバーする局面だった。そこで、この千五百羅漢の真実を突き付けられた。
地獄。これは、まさしく地獄。地獄を覗くとは、こういうことか。
上へ続く階段を見た。上る気になれなかった。目線を下げた。階段の一段目を見た。少し待った。一段目に、足を乗せた。次の段に、足を乗せた。それから、もう一歩。これを繰り返せば、いつかは、地獄覗きにたどり着く。足元だけを見て、階段を上がった。
長い階段は、開けた場所につながっていた。向こう側に、ロープウェイの駅が見えた。カップルの観光客が降りてきた。女の子は、かわいいサンダルを履いていた。二人は、のんびりと、地獄覗きの方に向かって歩いていった。ロープウェイ。その手があったのか。知らなかった。そんなの、ずるいじゃないか。違う。ロープウェイのことは、マップルに書いてあった。全部見る、といって、階段を選んだのは、自分だ。さっき削られたメンタルが、さらに削られた。底なしの地獄。覗いているんじゃなくて、はまっていた。
気軽に地獄を覗く観光客のためのロープウェイの駅は、地獄覗きのすぐそばにあるに違いない。地獄覗きまで、もうすぐだ。そう信じて、先に進んだ。
階段は、全然、終わらなかった。先に進んでも、さっきのサンダル履きの女の子の姿は、見えなかった。自分が、あの子よりも遅いペースでしか歩けないことに、打ちのめされた。普段から体を動かすようにはしているつもりだった。体力も、それなりにあるつもりだった。そんなささやかな自信も、地獄に削られた。
百尺観音、という看板が見えた。左向きの矢印が書いてあった。左を見ると、下りの階段があった。看板を見てから、左に足を踏み出すのに、5秒かかった。
百尺観音を見て、それから、その奥に行くと、写真でよく見る、飛び込み台みたいに突き出した岩場が見えた。岩場は、ずいぶん上の方にあった。これから、あの突き出した岩場の上に立つ、ということよりも、あそこに行くには、まだ上らないといけない、ということしか、頭になかった。
とぼとぼと、階段を上った。
地獄覗きに着いた。下を覗いた。怖くはなかった。
こんなのは、地獄じゃない。俺は、すでに地獄は見てきた。
地獄覗きは怖い場所のはずなのに、そこから動きたくなかった。だって、ここを出ると、今まで登ってきた階段を下らないといけないんだもん。
地獄覗きから大仏のところまで、一直線に下る階段を下りた。ゴールに向かっている実感を得るために、段数を数えた。10段ごとに、指を立てて、100まで数えた。数を数えていれば、進んでも進んでも切りがない、とはならない。いつかは終わる。
大仏のところまで下りたら、ちょうど700段だった。
 

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