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ガジュマルとキジムナー

大石林山は、大変に素晴らしい観光地だった。やんばるの、自然の全てが、そこにあった。
大石林山は、3つのエリアに分かれている。
最初は、奇岩エリア。
さっき、辺戸岬で、調子に乗りやすい観光客のブーツを屠った悪魔の軽石の大型版が、あちこちの地面から突き出していた。でも、遊歩道は、平和な土の道なので、悪魔の軽石の餌食になる心配はしなくてもよかった。細い木がたくさん生えた熱帯のジャングルのような林の中に、ランダムに現れる変わった形の石を見ていると、現代アートが展示されている屋外美術館のような気がした。
次は、山エリア。
山と言っても、緑が生い茂る山ではなくて、奇岩エリアの異形の岩のラスボスみたいな岩山だった。高さは、あまりなかった。全体が灰色で、いろんなところがギンギンに尖っていた。色味といい、エッジの立ち方といい、メカっぽくて、かっこよかった。ジオン公国のザビ家が住んでいた建物に、何となく雰囲気が似ている、ような気がした。山エリアの一番の見どころは、このイカした岩山の裏側にある、展望台からの景色だった。山から、海に向かって広がる熱帯の森と、その向こうに、辺戸岬までが見渡せた。沖縄では、城跡などのいろんな高いところから遠くの海を見下ろしたけれど、ここからの景色が、一番スケールが大きかった。
最後は、森林エリア。
ここは、静かで、落ち着いた雰囲気だった。大石林山は、どこも素晴らしいけれど、私は、このエリアが、一番気に入った。遊歩道がなければ、どっちを向いているのかさっぱりわからなくなるような深い森の中に、大きくて立派なガジュマルが、何本も生えていた。ガジュマルを見るのは、初めてだった。大きく横に張り出した枝と、そこから垂れ下がる幾筋もの細い枝の姿からは、他の植物では感じられない意思のようなものが感じられた。まさしく、森の主だった。通常の植物には備わっていない、特別な力が備わっているようにしか見えなかった。思わず、帽子を取って、一礼した。そんな迫力があった。一度ガジュマルを見た後は、足元を這う無数の木の根っこを、踏まないように気を付けて歩いた。
そんな、ガジュマルの一つの近くに看板があった。キジムナーの話が書いてあった。その昔、小さい子を連れた家族連れがこのガジュマルの近くを通ったときに、いるはずのない子供の声が聞こえてきた、と、そういう話。きっと、楽しそうな子供の姿にひかれて、キジムナーがやってきたのでしょう、と、看板には、書いてあった。よくある話といえば、よくある話だけど、この森の中にいると、そういうことも、当たり前に、ありそうな気がした。そういう話よく聞くよね、じゃなくて、そういうこともあるかもね、の方向で、意外性がなかった。
まあ、そういうこともありそうだとしても、一人でとぼとぼ歩いているオジサンの場合、キジムナーが逃げることはあっても、寄ってくることはないから、関係ない。
と、思っていたら、聞こえてしまった。子供の声が。
最初は、鳥の声か、虫の声だと思った。でも、それにしては、ずいぶん、いろんな声で鳴いていた。何を言っているのかは、言葉は聞き取れないけれど、聞けば聞くほど、話をしているようにしか、聞こえなかった。
そこで、音の正体を考えるのは、やめた。これは、キジムナーの声だ。きっと、平日の昼間に、木の根っこを踏まないように、とぼとぼと一人で歩く人間なんて、いないと思って、油断したんだね。ここは、もともと、彼らの森だ。油断した、ということは、少なくとも彼らの邪魔になっていないということだ。それが、なんだかうれしかった。
思いがけず、メルヘンな気分で歩いていると、間もなく、元気な男の子を連れた家族連れが現れて、とぼとぼ歩くオジサンを、追い抜いていったのでした。
 

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